本当に好きなことは伝はらないのか
好きなことといふのはなかなか伝はらない。
最近、さういふことが何度か続いた。
「なに云つてるの、好きなことを云はないぢやないの」
と云はれたら、はいそれまでよ、なわけだが、このときはちやんと表明してみた。
しかし、普段あまり自分の好きなことについて話をしない人間の「ちやんと表明」なのがいけなかつたのだらうか。
それとも、同好の士がほとんどゐないといふだけのことだつたのかもしれない。
職場で英会話講座のやうなものがあつて一時受けてゐたことがある。
このときに週末の予定を一対一で語る練習があつて、「アール・ヌーヴォ展に行かうと思つてゐる」と云つた。
すると、そのとき相手をしてくれてゐた人が「アール・ヌーヴォつて、なに?」的な質問をしてきて、そこでつかへてしまつた。
アール・ヌーヴォつてなんですか。
新しい芸術。
精々それくらゐしか思ひ浮かばない。
教師は「アール・ヌーヴォの説明をして会話をつづけるんですよ」と云ふのだが、ちよつと興味があるくらゐでよく知りもしないものを説明なんぞできないよ。
だが、ここで問題なのはそこで会話がとぎれることであつて、多分、テキトーなことを云つておけばよかつたのだ。
ミュシャの絵が見たいんですよ、だとか、「新しい芸術」つて意味なんですよね、なにが新しいのかよくわかりませんけど見に行つたらわかるかと思つて、とか、さういふやうなことを云つておけば会話はつづいたはずだ。
ここにも以前書いたことに、美容院で美容師さんに「待つてゐるあひだ、なにを読んでゐたんですか?」と訊かれたことがある。
このときは「韓非子」を読んでゐた。
だが「韓非子」を読んでゐるんです、とはいへなかつた。
その先の説明がめんどくさくなりさうだつたからだ。
で、なにかうやむやに済ませて、美容師さんのお勧めの作家の話などを聞いてそのときはなんとかなつた。
この、説明を避けたがる性格がいけない。
そんな気がする。
ミュシャならミュシャ、韓非子なら韓非子、と、ちやんと云つて、「これこれかういふところが好きなんですよねー」と云へばいいのだ。
なぜそれを避けてしまふのだらう。
めんどくさいから。
それもあるけれど、時々「はづかしいから」といふのもある。
なんではづかしいんですかね。
大和和紀の作品に「KILLA」といふまんががある。
このまんがでは「好きな者/物」といふのは聖域(サンクチュアリ)であり、敵に知られてはならない弱点となる、とある。
こども心にその教へが身についてしまつたのかもしれない。
敵つて誰だよ、といふ話はあるのだが。
といふわけでこの先はしばらく伝はりにくい好きなことの話でもしてみやうかと思つてゐる。
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