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Friday, 14 December 2018

史実でもフィクションでも

旧暦の十二月十四日は赤穂浪士の討ち入りの日といふことになつてゐる。

歴史上のこととなると史実史実とたくさんさうに云ふ人がごまんとゐるが、なぜか赤穂浪士の討ち入りといはうか忠臣蔵には少ないやうな気がしてゐる。
自分の中でもお浄瑠璃や芝居、講談や浪曲で知つた話がなひまぜになつてゐて、もうなにがなにやらわからない状態だ。

そもそも、登場人物(といつてしまふとフィクションのやうだが)の名前からして史実とお浄瑠璃などとではことなつてゐる。
浅野内匠頭が塩冶判官、吉良上野介が高師直、大石内蔵助が大星由良之助といふあたりはいいが、ひとりひとりの義士となつてくると、どちらが本名でどちらがフィクションでの名前かよくわからなくなつてくるほどだ。

なぜか不破数右衛門だけは本名で出ることになつてゐるのでありがたい。

忠臣蔵レヴェルになつてくると、史実とおなじくらゐの圧力でフィクションでのお約束を知つてゐて当然、といふことになつてくる。
これもなかなか怖い。
お約束ごとがやたらと多いからだ。
お軽勘平は戸塚山中で道行。
赤垣源蔵とつくりの別れ。
大高源吾は橋の上。
「先生!」「おお、そば屋か!」は俵星玄蕃。
ほんとの話はこの中にはなささうだなあ。
ほんとの話ぢやないのに、戸塚にはお軽勘平道行の碑が立つてゐて、箱根駅伝の折りなどにたまに紹介されることがある。
ほんとの話ぢやないのに、両国には俵星玄蕃の道場はここにあつたといふ看板が立つてゐるといふ。

もうなにがなにやらわかりませんな。

この「なにがなにやらわからない」ところが昨今年の瀬になつても忠臣蔵ものがTVで放映されない所以なのかもしれない。
時代劇が衰退してゐるから、といふのはもちろんあるとして、ほかに理由があるとしたらこれかな、といふくらゐの話だ。
どうも最近は「なにがなにやらわからない」ことはダメなこと、なかつたことにされがちだからなあ。
なにがなにやらわからないからおもしろいこともあるといふのに。
忠臣蔵なんかさうだと思ふんだがなあ。
時代劇が衰退してゐて今の俳優女優では撮れないといふのなら、過去に作られた名作(迷作?)がいくらでもある。
さういふのを放映してくれたらいいのに。

去年は京都に行つたときに三船敏郎の「大忠臣蔵」を一話だけ見た。
おもしろいぢやんよ。
かういふドラマが見たいんだよねえ。

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