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Thursday, 22 November 2018

「わかる奴だけわかればいい」と花巻さんは云ふ

「わかる奴だけわかればいい」といふのは、NHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」の登場人物である花巻さんがよく口にしてゐたせりふだ。

十一月十一日の日曜日に、NHKFMで「今日は一日QUEEN三昧」といふ十時間ほどの番組があつた。

その中で、「懐かしのラヴァーボーイ」といふ歌について出演者が「この歌のギターソロがいい」といふ旨の発言をしてゐるのを聞いて、「そー、この歌のギターソロといつたら、もうもう。Old Fashioned Lover Boy.」とつぶやいた。

ほんたうは、「もうもう」の部分はちやんとことばにしたかつた。
しかし、なんと云つたらいいのか、皆目見当がつかない。
「すばらしい」? 「すてき」? 「out of this world」?
いづれもさうで、いづれもさうではなかつた。

それで牛の鳴き声みたやうなことになつてしまつたわけだが、それでも「いい」と思つてくれたとおぼしき人がゐたのだつた。

さうか。
これで通じるのか。

実際は「もうもう」の部分は人によつて違ふはずだ。
でも、それで通じてしまふのだ。

ここに何度も書いてゐることで、栗本薫が書いてゐた話がある。
「グイン・サーガ」のあとがきだつたと思ふので、中島梓ではないだらう。
世の中にはことばだけでかつこいいといふものがあつて、そのことばを口にするだけでわかりあへることがある、といふ話だ。
「水滸伝」の登場人物の名前を例に出してゐたやうに記憶する。
水滸伝の登場人物には大抵二つ名がついてゐて、この二つ名と名前とを合はせると実に様子のいいものがある。
栗本薫が云ふには、「九紋龍史進!」とか「豹子頭林冲!」とか口にしあつて、わかりあひ、手を取りあつたり抱きしめあつたりできる、といふのだ。

それを読んで、「さうだなあ、さういふことつて、あるんだらうなあ」と思つた。
実際にさういふ場面に出くはしたことはないが、「この名前、様子がいい」だとか「この音の並びは気持ちがいい」だとか、もつと進むと「ロリータ」の冒頭部分、「ロリータ」と口にするときの舌の動きが云々といふ話につながつていくのに違いひない。

ただ、「九紋龍史進!」と口にした人とそれを聞いた人とでは、「九紋龍史進」といふ名前或は音について抱いてゐる感情は違ふかもしれない。
さきほどのギターソロに対する「もうもう」の中身が人によつて違ふのとおなじなんぢやあるまいか。

さうすると、わかりあふつてどういふことなのかな、と、深みに沈んで行つてしまふのだつた。

ではことばを尽くせばいいのかといふと、さうでもなささうなんだよなあ。

昨日もちよこつと書いた「ブライトン・ロック」のギターソロについても、「今日は一日QUEEN三昧」を聞きながらつぶやいた。

この曲のギターソロは、日本では「津軽じょんがら節」とも呼ばれてゐて、早弾きに注目(それとも注耳か)されるものだと理解してゐる。
でも違ふんだなー。
そこぢやないと思ふんだよなー。

早弾きといふことなら、すごい演奏はいくらでもあるだらう。
それにこんなのが弾けるのは躰の動くうちだけで、年を取つたらできなくなつてしまふ。

音楽は西洋のものから入つたものの、どこかで邦楽方向に向かつてしまつたので、三味線引きの「指の回らなくなつてからが本物」といふのがほんたうだらうなと思つてゐる。
身体的技術は年とともに衰へて、でもその先に待つてゐるもの、その先聞かせられるものこそが本物。
さういふ意味だと思つてゐる。

ただ、現実にはそのよさがわかる人は減つてゐるやうに思ふし、こんなことを云つておいてなんだがやつがれ自身は芸術音痴なのでそこのところはよくわからない。
事実、文楽の三味線弾きには指が回らなくなつたら辞めると云つてゐる人もゐると聞くし(そしてその三味線弾きが好きだつたりはするのだが)、世の中はさういふ方向に向かつてゐるのだらうとも思ふ。

でも、なんといふかな、さういふ物理的な技術、目に見えてわかりやすいものを超えたところに、なにか待つてゐるものがあるのぢやあるまいか。

「ブライトン・ロック」のギターソロでやつがれがいいなと思ふのは、こんなところだ。

この燃え尽きたかと思つた薪に残つた赤い熾から燃え上がるやうな音よ
十一月十一日の放送を聞きながらつぶやいたことだ。
燃え尽きた灰の中からわづかに残つてゐた火が少しづつ煙をたて、やがてわつとばかりに燃え上がる。
さう聞こえる。

伝はるとは思へなかつたが、これもいいと思つてくれたとおぼしき人がゐたやうだ。
どう伝はつてゐるのかわからないが、伝はりはしたものと思はれる。

しかし、はたしてどう伝はつてゐるのだらう。
わからない奴だけれどもわかりたい。

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