変はつたご趣味ですこと
タティングレースのスカーフはちよこちよこ進んでゐる。
ご機嫌にタティングしてゐると、シャトルに巻いた糸がすぐになくなる。
さうするとシャトルに糸を巻かねばならないのだが、この「ご機嫌にタティング」してゐるときに糸を巻かねばならないのはなかなかに苦痛だ。
さらにご機嫌ならばそれもまたよしとしてシャトルに糸を巻けるのだが、さうでもないときもある。
俗に「zoneに入つてゐる」つてかういふ状態のときなのかな、とも思ふ。
糸を巻くのがすこしでも楽になるやうにボビンつきのシャトルを使つたり、普通のシャトルを使ふ場合でも糸を巻きやすくする道具などを使つたりする。
あとはなかなか糸を巻く時間がとれないといふ現状をどうするか、だな。
ところでタティングレースではピコの少ない作品が好きだ。
ピコはもつぱらつなぐためだけで、装飾的ピコはない、みたやうな作品が好きで何度か作つてゐる。
よく作る Mary Konior の Masquerade などもピコの少ないところが気に入つてゐる。
そのはずなのだが、いま作つてゐる作品にはピコが多い。
そして、なんとなくこの方がタティングレースらしいやうな気もしてゐる。
もしかしたら趣味が変はつてきてゐるのかもしれない。
先日映画「ボヘミアン・ラプソディ」を見てきたときにもさう思つた。
この映画はクイーンといふ実在のバンドのヴォーカルだつたフレディ・マーキュリーをfeatureしたものだ。
クイーンといふと、初期には鷺のやうなと云はれるやうな白くてビラビラした服をきてみたり、「ちよつとそれどーよ」的な華やかな(つまりは派手な)衣装で有名なバンドだつた。
さういふのはあんまし好きぢやなかつた。
でも歌と曲は好きだつたし、クイーンを知つた直後くらゐにフレディが髪を切り髭をのばしはじめたこともあつて、あまり気にならなかつた。
今回映画を見て、さういふ派手な衣装とか、フレディの自宅のゲテモノすれすれの装飾などを見てゐて、「かういふのも悪くないな」と思つてゐることに気がついた。
自分もさうしたいといふのではなくて、「かういふのもありだな」といふ感じ、だらうか。
自分で作るものは、とくにタティングレースは、自分で使ふものではない。
スカーフは使ふかもしれないけれど、使ひたいといふよりは作りたいといふ気持ちの方が先立つてゐるしその分強い。
さうした作品に、普段自分では絶対身につけないやうな趣向を取り入れるのは、おもしろいかもしれないな、とちよつと思つた。
映画自体は、始まる前の20世紀FOXのファンファーレからして気合ひが入つてゐて、それだけでもうあとは知れる。
実際の時系列とは違ふ順番でエピソードがはさまつてゐる部分があるし、なにを云つても残つてゐる人間だけで作つたものだから、もしあの世といふものがあつてフレディがこの映画を見ることがあつたら「きみたち、ぼくのことをさう思つてゐたの?」と云ふかもしれないな、とも思ふ。
でも結局自分もずつと見て(聞いて)ゐる側だつたわけで、さうすると「かうなるよなー」と思ふんだよね。
とりあへず、一緒に歌へる爆音上映会でもあれば行つてみたい。
そのころまでにはタティングレースのスカーフもできてゐるだらうか。
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