「赤毛の女の子」考
スヌーピーで有名なチャールズ・シュルツの「PEANUTS」に「赤毛の女の子」といふ登場人物がゐる。
スヌーピーの飼主であるチャーリー・ブラウンが心ひそかにあこがれてゐる少女のことだ。
アニメなどでは実際に登場することがあるのださうだが、原作のまんがではこの少女が登場することはない。
あつてもシルエットだけ。
どんな容貌で、名前はなにかといふことは一切不明である。
チャーリー・ブラウンと「赤毛の女の子」とはおなじクラスにゐるといふことになつてゐる。
おなじクラスにゐれば教師が出欠をとるだらうし、女の子を名指しであてることもあらう。
チャーリー・ブラウンがその子の名前を知らないといふことはあり得ない。
最初のうちは、「赤毛の女の子」はチャーリー・ブラウンの周囲にゐる子とおなじ名前なのではないかと思つてゐた。
たとへばサリーとかルーシーとかマーシーとか。
それで名前を出すと読者が混乱することになるので、「赤毛の女の子」と呼んでゐるのぢやあるまいか、とか。
混乱しないまでも、ほかの少女からの連想で「赤毛の女の子」のことを考へてしまふことになるので、著者はそれを避けたかつた、とか。
その一方で、「チャーリー・ブラウンは名前も呼べないほどその子のことが好き」といふこともあり得るな、とも思ふ。
楽隊にゐたときのことだ。
ブラームスの交響曲第四番だかシューマンの同第三番だかを練習してゐたときのことだつたと思ふ。
フルートのソロについて、指揮者の先生がこんなことを云つた。
世の中には、誰かのことを好きになると、大声で「きみのことが大好きだーっっ!」と叫ぶ向きと、好きすぎて或はほかの理由があつて「好きだ好きなんだ、でもどうしても口には出せない」といふ向きとあつて、このソロは後者の方なのだ、と。
なるほど。
さういふことはあるかもしれない。
「おじゃる丸」に出てくる一直先生なんかは前者のタイプだらう。
なにごとにつけ、大声で叫ばずにはゐられない。
さういふ愛情表現もある。
反対に「ベルサイユのばら」のある時点までのアンドレのやうに「好きなんだけど黙つてるのさ」といふ後者のタイプもある。
どちらがどうといふのではなくて、どちらもある、といふことだ。
チャーリー・ブラウンは、どう見ても後者のタイプだらうな。
また、愛する対象について言及するときに、自分だけの呼び方をするといふ愛情表現もある。
誰も使はない、自分だけの呼び名。
それがチャーリー・ブラウンにとつては「赤毛の女の子」なのぢやあるまいか。
ひねりもなにもないけれど。
ほかの登場人物はその子のことを「赤毛の女の子」とは呼ばないと思ふのだ。
ちやんと名前で呼ぶだらう。
チャーリー・ブラウンだけがその子のことを「赤毛の女の子」と呼ぶ。
どんだけ好きなんだよ、その子のことをさ。
チャーリー・ブラウンにはダンスに誘つてくれたエミリーといふ女の子がゐたりするのだが、ほかの登場人物でエミリーのことを見たことがある人はゐない。
それでなくても好きな子をライナスにとられちやつたりとか、恋愛についてはろくなことがない印象がチャーリー・ブラウンにはある。
「赤毛の女の子」のことも、はなれたところから見てゐるだけなんだらうな。
すくなくとも、もう少しおとなになるまでは。
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