ことばを紡ぐ?
映画「ボヘミアン・ラプソディ」を見てからといふもの、脳内は絶賛QUEEN祭で、なにかしら歌がループしてゐる。
ときには以前カセットテープ(時代ですな)に録音してゐた順に歌が流れるので、全然違ふ歌がループすることもある。
そんな中で、ちよつと気になつてゐるのが「Brighton Rock」の歌詞にある「weave my spell」だ。
さうだよねー、呪文は織るものだよねー。
織るもの、といふ云ひ方はをかしいかもしれない。
自分の中では「ことばを紡ぐ」といふ表現と対比してゐるのでをかしくないんだけどね。
「ことばを紡ぐ」とはいつたい誰が云ひ出したのだらう。
糸を紡いだことのない人が作り出した表現だらうと確信してゐる。
なぜなら、紡いでも糸しかできないからだ。
糸はそのままでは糸でしかない。
このあと織つて布地にしたり布を縫ひあはせることに使つたりしてはじめて役に立つ。
ことばを紡いで、そのあとどうしやうといふのだらうか。
ことばを紡いで、なにかのときに使へるやうにしてゐる、といふのならわかる。
いざといふときのために語彙を増やしておくとか、きちんとした文章を作れるやうに鍛錬しておくとかいふのなら、「ことばを紡ぐ」と云つてもいい気がする。
しかし、「ことばを紡ぐ」と人が云ふとき、さういふことをさしてはゐないやうに見受けられる。
紡いだことばはそのまま他人との意志疎通に使ふ、さういふ風に思へてならない。
糸だけ差し出しても、どうにもならないんですよ。
そこへいくと、weave a spell といふのは、なるほどなあ、といふ表現だ。
織つたつて布地にしかならないぢやない、といふ意見もあらう。
だが、織ればタペストリや絨毯もできる。
魔法の絨毯にはおそろく呪文が織り込まれてゐるのに相違ない。
なんてね。
普通は cast a spell を使ふのかもしれないが、weave my spell、いい表現だ。
ところであみものはどうなのかといふと、これはもう「二都物語」のマダム・ドファルジュに尽きるだらう。
せつせとなにを編んでゐるのかと思へば殺したいほど憎い相手、やがては断頭台へと送る相手の名前を編み込んでゐるのだ。
だが、「ことばを編む」といふと、編集するイメージになつてしまふのでこれは使へないな。
もひとつところで、「Brighton Rock」といふのはブライトンといふイギリスにあるリゾート地での love affair を描いた歌で、一番ではブライトンで出会つた(のだらう)相手に「この世にはまだ魔法なんてものがちよつとは残つてゐたんだね」などと歌ひかけ、二番ではさう云はれた相手がもつと現実的な気分になつて「魔法なんて云つても詮無いこと」と返し、いろいろあつて三番では魔法に関する歌詞は出てこない。
行楽地での戀も露と消へ、わづかに残つた魔法は失せて、呪文の効果も切れてしまつた、といつたところだらうか。
この歌は映画「ベイビードライバー」でも使はれてゐて、多分に途中のギターソロが有名だが、それはまた別の話。
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