飯田市川本喜八郎人形美術館 江東の群像 その2 2018年後半
10月26、27日と飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。
今回は「江東の群像」の続きについて書く。
前半はこちら。
ケースの真ん中には孫権が立つてゐる。
奥の一番高いところにゐて、戦に臨む時の装ひだ。
これまで見た展示では孫権は平時の服装が多かつたやうに思ふ。
今回の衣装の方が様子がいいな。
説明では「目が緑色に見えるでせう」といつてゐたが、残念ながらやつがれの目ではあの位置にゐる孫権の目の色を確認するのはチトむつかしい。
さういへば孫権はいつも奥の方にゐてあまり手前に出てくることがない。
たまにはもつと手前まで来てもいいのでは、と思ふが、全体的なバランスを考へるとさうもいかないのかな。
さういへば、孫堅・孫策・孫権のときはいつもより手前の方にゐたやうな気がする。
その下やや右斜め前に周瑜がゐる。
采配を掲げて勇ましさうだが、あまり覇気は感じない。
今回そんなことばかり云つてゐるが、周瑜にしても「人形劇三国志」の赤壁の戦ひの時点では体調が万全といふわけでもないし、さんざん孔明にしてやられてゐるし、そりや覇気も削られるでせうよ、といつたところか。
周瑜の前には小喬がゐる。
大喬と顔を見合はせてゐる感じかな。
周瑜とは離れたところにゐるやうに見える。
小喬の衣装を見て、「元はこどもの着物だらう」と思つてゐたら、説明の方が「お宮参りのときの産着」だと云つてゐたので、やつがれの目もまんざら節穴でもないな、と思つた、と日記には書いておかう。
大喬は顔に大きな髪飾りの影が落ちてしまつてちよつと残念だつたけれど、小喬はそんなことはない。
おだやかな表情でほほえんでゐるといつたやうすだ。
孫権の右側すこし下がつたところに喬国老が立つてゐる。
はなれたところから見ると呉国太と対になつてゐるやうに見える、とは前回も書いた。
せつかく一緒にゐるのだし、大喬小喬の方を見てゐてもいいのにな、と思はないでもないのだが、正面を向いてゐる。
あひかはらず「食へないヂイさん」といつた印象を受ける。
喬国老の斜め右下、小喬の右すこしはなれたところに闞沢が立つてゐる。
斜に構へてなにごとかたくらんでゐる心だらうか。
あまりこのケースの中の人々やその雰囲気と絡んでゐるやうには見えなかつた。
もう一度見たらまた違つた印象を受けるんだらうけれど。
闞沢の右、ケースの右端手前に徐盛がゐる。
弓を持つた手を後ろにして、いままさに駆けてきたといふかのやうに片足が勢ひよく後ろにはねあがつてゐる。
この状態では矢は放てないと思ふのだが、放つたあとの勢ひでかういふ恰好になつたといふことなのか。
それとも押つ取り刀ならぬ押つ取り弓矢で馳せ参じてきたところなのかな。
はなれて見ると左端手前にゐる程普のしづかな感じとはまた趣が変はつておもしろい絵に見える。
ケースの右端奥には諸葛瑾が立つてゐる。
やや中央に躰を向けたやうすは、位置ともあひまつて全体を見渡してゐるやうにも見受けられる。
飯田の展示で見る諸葛瑾はつらさうにしてゐることが多いといふ印象がある(印象だけだけど)が、かうして見ると端然と落ち着いた雰囲気で、黄色系の衣装もおごそかに見えてくる。
以下つづく。
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