toxic workers
うしろ向きな人間は職場では「toxic workers」とか云はれてしまふのらしい。
職場にゐてほしくない、雇ふべきでない人間といふことだ。
十人十色、人によつて考へ方が違ふといふ信念の持ち主も、否定的な意見については認めたくないといふやうすがありありと見えることがある。
人によつて考へが違つて、いろいろな意見があつて当然といふならば、ものごとに対して否定的な意見ももちろんあつてしかるべきなのだが、かういふ人はさうは思つてゐない。「そんなことないよ」と云ひながら、心の底では或は無意識のうちに「否定的な意見はあつてはいけない」と思つてゐるのに相違ない。
「いろんな意見があつていい」といふことは「いろんな意見があつてはいけない」といふ考へは許容しない、といふのは理解できるんだけどな。
許容したら成り立たないものな。
toxic workers といふことで云ふと、うしろ向きな態度といふのは伝染するのださうだ。
だから職場にはゐてほしくないといふ。
うしろ向きな姿勢の蔓延は仕事の効率を下げるからだ。
しかし、仕事は効率のみで語るべきものだらうか。
品質は? 最近ではコンプライアンスなどといふことがうるさく云はれたりもする。
コンプライアンスの遵守には、前向きで楽観的な考への人間よりもうしろ向きで悲観的な考への人間の方が向いてゐる気がするがなあ。
コンプライアンス違反といふのは、案外気軽なきもちでやつてしまふことが多いやうに見受けられる。
職場ではかういふきまりになつてゐるけども、守らなくても仕事の出来不出来には関はりないし、時間もないし、やつてしまへ。
さう楽観的にものごとをとらへる人がコンプライアンス違反者になる例がある。
かういふ場合、むしろ前向きで楽観的な社員の方が「toxic workers」なのではないか。
もちろん、前向きで楽観的な人がみな法令や社内規則を軽視するとは云はないし、うしろ向きで悲観的な人間の中には法律なんぞ知つたことか、社内規則なんてくだらないと思つてゐる人もゐるだらう。
思ふに、みんながみんな前向きで楽観的な職場といふのはよくないのだと思ふ。
多様性に欠けるからだ。
toxic で infective かもしれないが、うしろ向きで悲観的な社員もゐた方がいいはずだ。
世の中がさうしたものだからだ。
そして、なぜ前向きで楽観的な姿勢といふものが infective ではないのかを考へた方がいいと思ふ。
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