タティング・シェルター
外出先ではタティングしてゐる。
極細毛糸を使つてゐて、モチーフをつないでスカーフにしやうと思つてゐる。
そのうち外ではできなくなる大きさになるんぢやないかと思ふが、まあ、そのときはそのときだ。
外出先でタティングをしてゐると、なんとなく落ち着いた心持ちになるときがある。
なんだらう。安心するのだらうか。
いま、自分は自分本来の姿に戻つてゐる。
そんな気分になるのである。
「戻つてゐる」といふからには、それまでは自分本来の姿ではなかつたといふことだらう。
外でタティングをするときはどういふ状態のときだらうか。
ここ最近でいへば、医者で順番を待つてゐるときだ。銀行や郵便局などでもある。
医者で順番を待つてゐるとき。
医者にはかなりあはてて行くことが多い。
早く行かないと待たされるからだ。
「十時半に予約してゐるのに八時から来てゐて「三時間も待たされた」と文句を云ふ患者がゐる」といふ。
むべなるかな。
十時半に予約して十時半に来院したところで、即診てもらへることはまれである。
予約せずに来た急患やその他のあれやこれやで決して予約した時間には診てもらへない。
それが病院である。
だとするならば、少しでも早く来て予約時間にできるかぎり近い時間に診てもらひたいと思ふのは人情だらう。
医者で順番待ちをしてゐるときといふのは、いつ自分の番が来るかわからない。
整理番号があつてほぼその順番で呼ばれるとしても気を抜いてはいけない。
どうしたことかいつまでたつても呼ばれないことばかりだからだ。
すなはち、医者で順番待ちをするといふことはいつ終はるか知れぬとても不安な状況におかれるといふことと同義である。
そんなときに、かばんからタティングシャトルを取り出してぼんやり自分のペースでタティングをする。
さうすると、ふしぎなことに満ち足りた気分になつてきたりするんだな、これが。
ただただひたすら待たされていつ呼ばれるとも知れぬ状態で、自分のやりたいやうにやりたいことをする。
自分を取り巻く空気が周囲から遮断されて、自分だけの世界に入つていく心地がする。
平穏。
そんな感じだらうか。
問題は、シャトルに巻いた糸がなくなりかけたときだ。
糸も持ち歩いてゐればいいが、かういふときに限つて持つてゐなかつたりする。
さう考へると、タティングよりあみものの方がいいのかなあと思はないでもないが、タティングよりあみものの方が話しかけられる率が高いんだよね。
ひとりにしておいてほしいのに。
ひとりにしておいてほしいのなら、本を読んでもいいのだが。
なんとはなし、シャトルをあやつり、糸に触れるのが心休まるやうな気がしてゐる。
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