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Wednesday, 10 October 2018

当たり前のこと

八月に双蝶会に行つた。
双蝶会は歌舞伎役者の中村歌昇・種之助兄弟の自主公演である。
このとき、背後の席にかなりの中村吉右衛門贔屓とお見受けする方が座つてゐた。
背後なのでそちらの方は見なかつたが、幕間に隣の席の人と話してゐるのをちらと耳にしてそんなことを思つた。

吉右衛門が父の幸四郎・兄の染五郎とともに東宝から松竹に戻つてきたときの舞台の話をしてゐたり、吉右衛門襲名の興行を見た話をしてゐたり、最近の舞台の話でも吉右衛門のことを手放しでほめ称へてゐたり、双蝶会についても「たとへつたなくても「播磨屋に教はつた」といふことが大事。それが歌昇・種之助のためになるし、稽古を見てゐた人々みんなのためになる」みたやうな話をしてゐたり、大変失礼とは思ひつつ「いいこと云ふなあ」と思つてゐた。

そのうち、なぜだか話は文楽のことになり、一緒に話してゐた人が「最近は席がとりづらくて」とこぼすと、「さうなんだつてね」とあまりよくご存じのないやうす。
「文楽には行かれないんですか」との問ひに、「だつて僕は、越路太夫や津太夫を聞いてるからね」と云ふではないか。

ちよつとかちんとこなかつた、といへば嘘になる。
しかし、この後この人の語つた過去に聞いた義太夫の話は大変すばらしかつた。
もう細かいところは忘れてしまつたが、誰の何はそれはすばらしくて、某の何の何段目なんか涙が止まらなくて、通へるだけ通ひつめた、みたやうな話を熱く語つてゐた。
そこに自慢はなかつたやうに思ふ。

歌舞伎では「團菊爺」または「菊吉爺」などと呼ばれる人々がゐる。
若い頃に九代目市川團十郎・五代目尾上菊五郎を見てゐて、年を取つたいまなにを見ても「團十郎はよかつたなあ」「菊五郎はああぢやあなかつた」と「昔はよかつたなあ」と云ふ人々のことを指す。
さすがに九代目と五代目を見た人はもうゐなくなつてしまつて、その後は六代目尾上菊五郎・初代中村吉右衛門を見た人のことを「菊吉爺」などと
呼ぶ。

そんなこと云つたつてね。
聞く方はさう思ふ。
だつて見たことないわけだしさ。
見られもしない。
六代目と初代とならまあ映像も残つてゐないわけぢやあないけれど、それと実際の舞台とはまつたく違ふだらうしさ。

しかも、そこはかとなく自慢げなのが気障りだ。
「俺は見たもんね」「お宅は見たことないだらうけど」みたような、ね。

でもなあ。
なんとなく、わかるんだよなあ。

たとえば時代劇である。
一時、八代目松本幸四郎の「鬼平犯科帳」とTVドラマの「座頭市物語」「新・座頭市」、「大江戸捜査網」の第三シーズンの再放送を見てゐた時期がある。
鬼平が1969年、座頭市が1974年、「大江戸捜査網」が1973年の放映だといふ。
見てゐると、鬼平が一番「それらしい」のだ。
なにが「それらしい」のかといふと、市井の人々のやうすだ。
井戸端会議をしてゐる長屋の奥さん連中なんか、もうほんとに鬼平の時代にはかうしてゐたんぢやないか知らんと思ふやうなリアルさなのだつた。
鬼平は八代目幸四郎、丹波哲郎、萬屋錦之介、中村吉右衛門が演じたドラマがあつて、おなじ話をどの鬼平でも映像化したものがある。
「昔のおんな」の昔のおんなの女ともだちに関しては、八代目幸四郎のときが圧倒的にいい。
髪の結ひやうから着物の着方、佇まひ、どれを取つてもそれつぽい。

無論、当時の江戸がどうだつたかなんて知るよしもないし、実際には全然違つたのかもしれないとも思ふ。
この「それらしさ」がどこから生まれるのかさへわからない。
わからないけれども、昔の作品の方が「よくできてゐる」やうに思へてしまふんだなあ。
「座頭市物語」だつて「新・座頭市」よりそれらしい感じがすることがある。
なんだか世の中さういふものらしいのだ。

さうすると、菊吉がよかつたのは当然で、團菊がよかつたのは云ふも愚かといふことになる。

時の流れとともになにかが失はれてゆく。
さういふものだとするならば、今後歌舞伎や文楽になにを求めてゆけばよいのか。
ぼんやりと途方にくれてしまふ。

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