教科書に書いてあること
高校の化学の授業でイオン化傾向を習つた。
その仕上げとして、実験があつた。
得体の知れない液体を渡され、何のイオンが入つてゐるか同定せよ、といふ実験だ。
五、六人のグループにひとつ試料が渡され、各自教科書とそれまで得た知識をもとに濾過したり熱したりさまざまなことをはじめた。
ところが、ほとんどのグループは最初の段階でつまづいてしまつた。
やつがれのゐたグループも例外ではなかつた。
色や匂ひから察して「まづはかうだらう」と試したことがうまくいかない。
ほかのグループも同様らしかつた。
おそらく、教師が試料を作るときに、器具をきれいに洗浄しなかつたときがあつたのだらう。
出ない知恵をみんなでしぼり、教科書とノートとをなんどもめくつて確認し、何度かやりなほし、教師にも相談したけれども、結局時間切れになつてしまつて、試料になにが入つてゐたのかはまつたくわからず仕舞だつた。
もちろん、教科書とは違ふことをしてみやう、といふ意見も出した。
だが、おなじグループの人を説得することはできなかつた。
みな、「教科書は正しくて、我々がなにか間違つたことをしてゐるのだ」と一途に思ひつめてゐた。
もうちよつと余裕のあるときなら、「ぢやあ別の方法をやつてみやうか」といつてくれる人もゐたかもしれない。
だがそんな余裕はなかつた。
信じてゐたことがうまくいかなくて煮詰まつてしまつた人々にとつて、なにか新しいことをするといふのは実にむつかしいことだ。
いまはさう思ふが、当事者になると二進も三進もいかない。
この実験について、宿題としてレポートを提出することになつてゐた。
最後に所見として、「教科書どほりにやらうとしたのが失敗のもとだつたかもしれない」といふやうなことを悔しまぎれに書いた。
レポート返却の際、めづらしく教師のコメントがついてゐた。
先日ノーベル医学・生理学賞を受賞した本庶佑教授が「教科書に書いてあることが全部正しいと思つたらそれでおしまひだ」といふ旨の発言をした。
母は世界各国の首都を覚えてゐることを自慢にしてゐたが、時折間違つてゐることがあつた。
どうやら母が覚えて後、首都を移転した国があるのらしい。
分裂したり統合したりした国もある。
だが母はその時点での首都を覚えやうとはしない。
自分が習つたときの教科書が正しい。
さう思つてゐるやうに自分には見える。
たとへば鎌倉幕府の成立年は、やつがれが習つたころは1192年だつた。
それが研究の結果或は解釈が変はつたことで、最近では1185年であるとされてゐる。
これをして、「昔習つたことをころころ変へられたら困る」とこぼしてゐる人がゐた。
これもまた同様なのではないか。
教科書に書いてあることは、その時点での通説や研究の結果であり、不変ではない。
それは進歩著しくメディアでもよく取り上げられる理科系の科目だけの話ではない。
上にあげた例のやうに社会科だつて日々研究がつづけられてゐるわけだし、新たな発見もある。
国語だつて漢字の書き順が変はつたり、ある年齢までに覚える必要のある漢字の種類や数が変はることだつてありうる。
ましてやことばは時々刻々と変はつていく。
教科書に書いてあるから書いてあつたからといつて正しいとはいへない。
それは辞書もさうだ。
辞書は人の作つたものである。
人が作つたものなのだから、必ずどこかに間違ひのあるものだ。
多分、ここで大事なのは「信じない」といふことなのぢやあるまいか。
教科書を一通り読むのはいい。
理解して、記憶するのもいいだらう。
だが、信じてはいけない。
ほかの可能性、ほかの解釈、新たな発見、さうしたものがあるかもしれない。
さういふある意味オープンな状態が必要だ。
本庶教授の「教科書に書いてあることを信じない」といふ発言は、さういふことなのだと理解してゐる。
教科書は正しいと「信じた」ところで、思考は止まる。
それはイオン化傾向の実験でイヤといふほど経験した。
それなのに、やはり自分はなにか「権威」にすがらうとしてゐる。
「信じたい」と思つてしまふ。
信じるもののない状態はとても不安定だからだ。
その不安定な状況とどう折り合つていけるか。
なんともむつかしいことのやうに思へる。
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