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Friday, 26 October 2018

今夜歌道に明るくなる前に

昨日、「詩を覚えるとなにかいいことがあるだらうか」と書いた。
「詩」とはここでは広く和歌なども含むことにする。

「なにかいいことがあるだらうか」といふさもしい問ひがすでにいけない。
わかつてはゐても問ひたくなる。

昨日のエントリに、「百人一首を覚えると覚えた歌は心を豊かにしてくれる」といふ話を書いた。
百人一首は何首か覚えてゐる。
全部はとてもとてもわからないし、上の句だけとか下の句だけとかしか出てこない歌もたくさんある。
でもまあ、芝居や落語に出てくるやうな歌はわかる。
蝉丸のこれやこのとか菅家のちはやぶるとかだな。

で、さうした歌は、やつがれの心を豊かにしてくれてゐるのだらうか。
よくわからない、とは昨日も書いた。

なぜわからないのか。
それは、百人一首の歌を覚えてゐない状態がわからないからではあるまいか。
百人一首の歌を一首も知らない状態がわかれば、心が豊かではない状態といふのもわかるだらう。
豊かではない状態がわかれば、いまの心の状態と比べて違ふところがあつたらそれは豊かといふことにはならないだらうか。
ならないか。

もうちよつと厳しく条件があつてゐないとさうはいへないが、しかし、ひとつだけ云へることがある。
「心が豊かである」とはどういふ状態を指すのかわからない、といふことだ。

やつがれにも百人一首の歌を一首も知らない時期があつた。
そのときのことを思ひ出せばいいではないか。
さういふ話もある。

だがそれは小学生のときのことだ。
そのころといまとではずいぶんと変はつてしまつた。
もう当時のことなど思ひ出せない。

これつてなにかに似てるなあ。
今夜ヴァンパイアになる前に」か。
Transformative Experience といふアレだな。

「今夜ヴァンパイアになる前に」といふ本は、人間としての自分を変へてしまふ決断を迫られたときに合理的な判断ができるだらうか、といふことについて書かれた本だ。

ヴァンパイアになる機会があつたとしやう。
友だちのうち何人かはもうすでにヴァンパイアになつてゐて、「ヴァンパイアにならうよ。ヴァンパイアはいいぜー」と誘つてくる。
だが、ヴァンパイアになるとはどういふことか、実際になつてみないとわからない。

これだとわからないか。
こどもを産むかどうかかだとどうだらう。
こどもは持つてみないとどういふ状態になるのかわからない。
人から話はよく聞くし、「大変だ」といふことはわかつてゐても、体験してみないことには実際どうなのかわからない。

わからないことについて、合理的な判断がくだせるのか。どうしたら合理的に判断できだらうか。

といふやうな本で、まあなんかもうどうでもいいのだが、ちよつとおもしろかつた。

百人一首は何首か覚えてゐるけれど、やつがれは歌道に暗い。
歌道に明るくなりたいとは思ふが、歌道に明るくなるとはどういふ状況なのかわからないし、明るくなるとどうなるのかはわからない。
それでも歌道に明るくなりたいか。
「道灌」を聞いたときの impulse で「明るくなりたい」と思ふだけではないのか。
その証拠に聞いてしばらく後には歌道のことなどすつかり忘れてゐる。

しかし、歌道に明るくならないと「心が豊かになる」感覚はつかめさうにない。
とはいへ明るくなつたからといつて「心が豊かになる」とはかぎらない。

かういふことを一日中考へてゐたいものだ。

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