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Wednesday, 31 October 2018

飯田市川本喜八郎人形美術館 紳々竜々と荊州の人々

10月26、27日と飯田市川本喜八郎人形美術館に行つてきた。
現在の展示では「人形劇三国志」の主題は赤壁の戦ひだ。
「人形歴史スペクタクル 平家物語(以下「人形劇平家物語」)」には全体的な主題はなく、「木曽と鎌倉」「平家一門」のほか小ケースに麻鳥・蓬子・伴卜がゐる。
人形アニメーションは「蓮如とその母」だ。
ホワイエには「こども向けの仕事」と題してさまざまな人形が展示されてゐる。

展示室の入口を入ると、右手のケースに紳々と竜々とがゐて出迎へてくれる。
ふたりとも曹操軍の出で立ちだらう。
紳々の方がきちんとした着付けになつてゐて、竜々は帯締め(のやうなもの)がチト下過ぎるかなあといつたところ。
人形劇で見ると、剣を提げてゐるとどうしても帯締めが下にいくやうなので、竜々がだらしないといふわけではないと思ふ。
どちらかといふと、これまで見た展示では紳々の方がだらしないといつたら失礼かもしれないがくだけた着付けの印象がある。

美術館の方が、紳々竜々について放映当時人気のあつた漫才師をモデルにしてゐて、といふ旨の説明をしてゐるのを聞くと、この説明が有効なのはいつまでだらうと思ふことがある。
今回はご年輩の来館者が多かつたのでまつたく問題はなかつたやうだが、若い方や海外からのお客には通じないだらう。

海外からのお客といへば、美術館としてさういふお客さんにも対応しやうと本腰を入れてゐるやうすが伺へた。
日本の外からも飯田に見に来てくれる人が増えるといいなあ。

入口を入つて左手のケースには荊州の人々が並んでゐる。
手前から劉表・蔡夫人・劉琮・劉琦・玉桃の順に並んでゐる。

劉表は人形劇のときは人のよささうなお大尽といつたやうすだつたが、近くで見ると目の形に特徴があつて、一筋縄ではいかない人物のやうに見える。
行く先のない玄徳一行を快く受け入れてくれた印象があるからか、こちらにも「Welcome.」と云つてくれてゐるやうな気がする。
でも、荊州の牧に入口に近いところにゐられるとちよつと恐縮してしまふな。
ここは端近、といはうか、下手な感じといはうか。
会議室やエレヴェータで適切な居場所はどこかと悩む Japanese Business Person の悲しさかもしれない。
劉表は前掛け部分の龍が見事で、それがよく見えるのがうれしい。

蔡夫人は劉琮の肩を抱くやうに劉琮のやや左後ろに立つてゐる。
劉琮はとくにいやがるやうすもない。
この構図は以前も見た。
以前は、蔡夫人と劉琮とで視線の向かふ先が違ふのがおもしろかつたやうに記憶してゐる。
今回の劉琮は蔡夫人の云ひなりに近い感じだらうか。
蔡夫人はきつぱりした顔立ちで、気が強さうなところが人形劇のときの印象と変はらない。
人形劇の劉琮はもうちよつと自分でものを考へて行動する人物だつたやうな気がする。

劉琦からはちよつと照明が明るくなる気がする。
展示室の内部に近づくので、展示室のあかりが届きやすいのだらう。
川本喜八郎の話では、荊州や江東は南の方なので、黄色や橙色といつた華やかな色を人形の衣装に使ふやうにした、といふ。
劉表もさうだし、この先出てくる孫権その他江東の人々の衣装も黄色を基調としたものが多い。
劉琦もその例にもれず、地は黄色や橙色で、そこに大輪の菊をはじめとした秋の花々が散りばめられた模様で、もう「これでもか」といふくらゐ華やかな衣装をまとつてゐる。
だといふのに劉琦から受ける印象はどこかさみしげで儚い。
人形劇を見てゐたからさう思ふのかもしれない。
ここにも何度も書いてゐるやうに、劉琦さまといへば人形劇三国志一ほつれ毛のうつる男だ。
こめかみから頰にかけてはらりとこぼれた髪の毛のゆれるさまがよく似合ふ。
そんな憂愁の貴公子が劉琦だつた。
人形劇三国志を見てゐない人でもこの劉琦を見て「さみしさう」と思ふのだらうか。
もの思はしげな表情と、血の気の失せたやうな顔色を見ればそんな気もするのかな。
今回は右から見た劉琦さまがよかつた。

玉桃は、人形劇三国志オリジナルの登場人物で、玄徳と淑玲とを結びつけるために出てくる。
玄徳が独り身だといふので、劉表が自分の姪を嫁にどうか、と勧める、その姪が玉桃だ。
そこまで人形劇を見てきた視聴者は思ふ。
玄徳には淑玲がゐるんだから、邪魔するんぢやないよ、と。
玉桃の存在が玄徳・淑玲とその周辺をかき回し、結局玄徳と淑玲とは結婚することになる。
劉表の姪だから装飾品や衣装はいいものだ。
でも玉桃はそのまま飾つてしまふと、ちよつとおかめ顔めいた感じであんまり可愛くないんだよね。
もうちよつと可愛く見えるやうにしてあげてもいいのにな、と、手前勝手なことを考へてしまふ。

以下つづく。

Tuesday, 30 October 2018

レースの大物の終了条件

極細毛糸で作るタティングレースのスカーフは、ぼちぼち進んでゐる。

先週末、飯田に行つた折り、バスの中でちまちま作るつもりでゐたが、睡魔に負けること負けること。
また、作つてはみたものの、紅葉のはじまつた景色に目を奪はれること一度ならずといつた感じで、一枚のモチーフを途中まで作つたていどだつた。
のちに本体とつなぐことを考へると、作らない法がよかつたかもしれない。
ま、いいか。

大物を作るとここに書くことが少なくなる。
順調に進んでゐるから困つたこともないし、進んではゐるものの写真に撮つても前回とどこが違ふのかわかりづらいくらゐにしか進んでゐないし。

そんなわけで、ここ何回か写真を載せてゐないのだが、考へてみたら載せたのはだいぶ前なので、いまの状態と比べたらだいぶ進んで見えるかもしれない。

とはいへ、まだまだ「スカーフ」にはほど遠い。

去年のいまごろはカシミヤのストールを編んでゐた。
これも編んでも編んでも終はりが見えなくて気が遠くなつたものだつた。
それでも「1/5編めた」とか「3/7編めた」とか長さで確認していくと、残りの行程が見えて編み勧められたものだつた。

いま作つてゐるタティングレースのスカーフには終はりがない。
モチーフをつなげながら「助さん、格さん、もういいでせう」と思つたところで終はりになる予定だ。
すなはち、現在自分がどこにゐるのかわからない。
状況としては四段目の途中といつたところなんだけれども、先は長さうだといふことくらゐだな、わかることは。

以前は「モチーフを百枚つなぐ」といふ終了条件があつたのだが、今回はない。
百枚つないだくらゐでは短すぎるだらうことはわかつてゐる。
二百枚かなあ。
とりあへず、「モチーフを二百枚つなぐ」でいくことにするか。
前回だつて結局は百枚もつながぬうちにちやうどいい長さになつたことだし。

Monday, 29 October 2018

指なし手袋ばかり

指なし手袋は、片方ができあがりもう片方を編み始めたところだ。

Serpentine Mitt

パピーのブリティッシュファインを0号針で編んでゐる。
Serpentine Mitts といふ手袋で、以前、Regia Silk で編んだ。いまでもよく使つてゐる。
Serpentine Mitts にはS・M・Lと三つの大きさがあつて、以前編んだときはLを編んだ。
今回は手がゆるくなつてゐることもあつてMを選んだが、Lでもよかつたかもなあ。

Regia Silk で編んだ Serpentine Mitts は、おもに自宅で使つてゐる。
冬になると MacBook に置く手が冷える。
さういふときは Serpentine Mitts の出番だ。

夏、職場で空調がきついときに使ふこともある。今年は使はなかつたな、さういへば。

この一月に、ベルント・ケストラーのミトンを三つ編んだ。
これも指先が出るのでいいのだけれど、キーボードを打つにはあまり向いてゐないやうに思ふ。
指の覆はれてゐる部分が多いからだ。
外出するときなどはとてもいいんだけれどね。
ボッブル編みのミトンなど、もこもこしてとてもあたたかい気がする。

ブリティッシュファインで編んだ手袋は、毛100%だけあつてとてもあたたかい。
Regia Silk もいいと思つてゐたけれど、あたたかさは段違ひに感じる。
Regia Silk で編んだ手袋のいいところは、使ひこんで少しくたつとしてゐるところだ。
なんとなくいい手触りなのだつた。
プリティッシュファインで編んだ編み地はちよつとこわい感じだよね。
使ひこんでいくうちに変はるのかもしれないが。

Serpentine Mitts は手首側をちよつと長く編むのでなかなか模様編みに入れない。
模様編みに入ると編み方を見ながら編むのでなかなか進まない。
今年の冬はあたたかいといふ。
のんびり編んでもいいかな。

Friday, 26 October 2018

今夜歌道に明るくなる前に

昨日、「詩を覚えるとなにかいいことがあるだらうか」と書いた。
「詩」とはここでは広く和歌なども含むことにする。

「なにかいいことがあるだらうか」といふさもしい問ひがすでにいけない。
わかつてはゐても問ひたくなる。

昨日のエントリに、「百人一首を覚えると覚えた歌は心を豊かにしてくれる」といふ話を書いた。
百人一首は何首か覚えてゐる。
全部はとてもとてもわからないし、上の句だけとか下の句だけとかしか出てこない歌もたくさんある。
でもまあ、芝居や落語に出てくるやうな歌はわかる。
蝉丸のこれやこのとか菅家のちはやぶるとかだな。

で、さうした歌は、やつがれの心を豊かにしてくれてゐるのだらうか。
よくわからない、とは昨日も書いた。

なぜわからないのか。
それは、百人一首の歌を覚えてゐない状態がわからないからではあるまいか。
百人一首の歌を一首も知らない状態がわかれば、心が豊かではない状態といふのもわかるだらう。
豊かではない状態がわかれば、いまの心の状態と比べて違ふところがあつたらそれは豊かといふことにはならないだらうか。
ならないか。

もうちよつと厳しく条件があつてゐないとさうはいへないが、しかし、ひとつだけ云へることがある。
「心が豊かである」とはどういふ状態を指すのかわからない、といふことだ。

やつがれにも百人一首の歌を一首も知らない時期があつた。
そのときのことを思ひ出せばいいではないか。
さういふ話もある。

だがそれは小学生のときのことだ。
そのころといまとではずいぶんと変はつてしまつた。
もう当時のことなど思ひ出せない。

これつてなにかに似てるなあ。
今夜ヴァンパイアになる前に」か。
Transformative Experience といふアレだな。

「今夜ヴァンパイアになる前に」といふ本は、人間としての自分を変へてしまふ決断を迫られたときに合理的な判断ができるだらうか、といふことについて書かれた本だ。

ヴァンパイアになる機会があつたとしやう。
友だちのうち何人かはもうすでにヴァンパイアになつてゐて、「ヴァンパイアにならうよ。ヴァンパイアはいいぜー」と誘つてくる。
だが、ヴァンパイアになるとはどういふことか、実際になつてみないとわからない。

これだとわからないか。
こどもを産むかどうかかだとどうだらう。
こどもは持つてみないとどういふ状態になるのかわからない。
人から話はよく聞くし、「大変だ」といふことはわかつてゐても、体験してみないことには実際どうなのかわからない。

わからないことについて、合理的な判断がくだせるのか。どうしたら合理的に判断できだらうか。

といふやうな本で、まあなんかもうどうでもいいのだが、ちよつとおもしろかつた。

百人一首は何首か覚えてゐるけれど、やつがれは歌道に暗い。
歌道に明るくなりたいとは思ふが、歌道に明るくなるとはどういふ状況なのかわからないし、明るくなるとどうなるのかはわからない。
それでも歌道に明るくなりたいか。
「道灌」を聞いたときの impulse で「明るくなりたい」と思ふだけではないのか。
その証拠に聞いてしばらく後には歌道のことなどすつかり忘れてゐる。

しかし、歌道に明るくならないと「心が豊かになる」感覚はつかめさうにない。
とはいへ明るくなつたからといつて「心が豊かになる」とはかぎらない。

かういふことを一日中考へてゐたいものだ。

Thursday, 25 October 2018

提灯借りに来た

先日 Proust and the Squid といふ本を読んだ。
十年前の学生に「そらんじてゐる詩は何篇あるか」と訊いて得た答へを平均すると、だいたいひとりにつき10篇前後は覚えてゐたといふ。
それが最近(初版は2000年出版らしい)では1篇覚えてゐるか否かだ、といふ。

シャーロック・ホームズなら云ふだらう。
余分な知識はいらない、と。
脳内には考へるためのスペースが必要で、そのためには不要な情報を一々覚えるのは無駄だ、と。

詩が無駄とかいふと、あらぬ方向から被弾しさうだが、しかし、覚えてゐてなにかいいことがあるだらうか。

最近、Twitter の TimeLine に百人一首を覚えたときに教師に云はれたことに関するつぶやきがリツイートされてきた。
うろ覚えで恐縮だが、いまは試験や受験などのために百人一首を覚える必要があるかもしれないが、覚えてゐると心を豊かにしてくれるのですよ、といふやうなことを云はれたとつぶやいてゐたと記憶する。

さうなのだらうか。
百人一首は何首か覚えてゐる。
それがやつがれの心を豊かにしてくれてゐるだらうか。
よくわからない。

あるとき、横浜中華街のとある中華料理屋に行く機会があつた。
とても楽しかつたので、その部屋の壁に書かれてゐた詩の文句を指さして、
「この句のやうな気持ちですよ」
といふ旨のことをその場にゐる人々に伝へた。
そこには王維の詩が書かれてゐて、指さした先には「勸君更盡一杯酒」と書かれてゐた。
返つてきたのは怪訝さうな表情ばかりだつた。
もしかしたら詩全体のことを云つてゐると受け取られたのかもしれない。
世の中むつかしい。

「道灌」といふ落語がある。
太田道灌が狩に出た折り不意の雨に遭ひ、荒ら屋を認めて雨具を借りやうとすると、出てきた賤女が手折つた山吹を差しだして「お恥づかしう」と云ふ。
道灌にはなにがなんだかさつぱりわからないが、供の者の中に歌道に通じたものがゐて、これは兼明親王の歌をふまへたものだと理解する。
兼明親王の歌といふのは「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」といふもので、「実のひとつだになき」が「簑ひとつだになき」、つまり貧乏なのでお貸しする簑ひとつだにないのです、といふことなのだ、と。
そこで道灌は己が歌道に昏いことをさとり、その後歌道に精進するやうになつた、といふ。

この噺を聞くたびに「ああ、自分は歌道に昏い」と思ひ、道灌ぢやないけれど歌道に精進しやうと思ふのだが、はたして歌道に明るいとはどういふ状態を指すのか。
「道灌」でいふなら道灌の供の者のやうに、なにかのときに「あ、あれはあの歌をふまへたものだな」と即座にピンとくる状態を指すのではあるまいか。
といふことは、歌を覚えるだけでなく、すぐに取り出せるやうな状態にしておかなければならない、といふことだ。
それつて……どれだけ精進すればさうなるんですかね。

そして、覚えると心が豊かになる、といふのは、道灌の供の者のやうな境地に達してはじめて実現することなのではあるまいか。

多分、やつがれが歌道に明るくなる日は来ない。
「道灌」を聞く度に「ああ、予は歌道に昏い」と思ふだらうけれど。

Wednesday, 24 October 2018

まんがの思ひ出

生まれてはじめて買つ(てもらつ)たまんがの単行本は、有吉京子の「なにクソッ天才!」である。

成績優秀な生徒ばかり集めてゐるとある高校に図抜けて成績のいい女子生徒が転校してくる。
あまりにも出来るのでもとからゐる生徒の反感を買ひ、学校の中でもとくに特待生ばかり集めた校舎へと送り出されるのだが、この特待生といふのが常軌を逸した生徒ばかりで……
といふやうな内容だ。

もうひとつ掲載されてゐたまんがは、こんな内容だ。
母子家庭で、長女・次女・長男・三女の五人家族の家に、ひどく不釣り合ひな高級車が停まる。
中から出てきたのはこれまた裕福さうな人物。
その後、母や姉が突然妹につらくあたりはじめたことを不思議に思ひつつも、長男は三女とともに家出をはかる。
実は、生活があまりにも苦しいので、母親が三女を養女にしやうと計画してゐたのだつた。
高校生か中学生とおぼしき長女と次女とはそのことを知らされてゐたが、小学生の長男と当事者でもある三女はそのことを知らなかつた。
その事実を知らされて長男は……

「なにクソッ天才!」ではカトリーヌ・ドヌーヴだとかブリジット・バルドーだとかの名前を覚えたなあ。
どういふ人物かといふのは知らないけれど、どちらも美女なのだらうといふことはわかつた。
もうひとつのつらい内容のまんがからは、遊園地には入場券がないと入れないといふことを学んだ。
なにしろこの一冊しかまんががないものだから、くりかへしくりかへし読んだのだつた。
そのわりにはあまり覚えてゐないけれどもさ。

のちに「SWAN」に出会つて、「え、あの「なにクソッ天才!」を描いた人のまんが? えー、絵が違ふ」と思つたなあ。
よくよく見比べればおなじ人物の描いたものだとわかつたのだらうけれども。

母自身もまんがが好きだつたせゐか、雑誌を買つてもらふこともあつた。
「なにクソッ天才!」のころは「週刊マーガレット」や「別冊マーガレット」を読んだ記憶がある。
毎週毎月買つてもらへたわけではない。
多分、一冊買つてもらつて、それをしばらく読んでゐたのではないかといふ気がする。
それに、実をいふと「週刊マーガレット」の記憶はあまりない。
「つる姫じゃ〜っ!」を雑誌で読んだ記憶があるので「週刊マーガレット」を買つてもらつたことがあるのだらう、といふくらゐで、ほかのまんがの記憶がないのだつた。
次回予告に怖いまんがのことが載つてゐたので、あまり読まないやうにしてゐたのかもしれない。

「別冊マーガレット」では和田慎二の「わが友フランケンシュタイン」ものを読んだ記憶がある。
ヒルダといふ口のきけない少女が村の人々によつてたかつていぢめられる話だつた。
三原順の「赤い風船のささやき」も読んだ。
「なにクソッ天才!」よりもこちらの方が後のまんがの好みに影響を受けたやうに思ふ。

小学一年生のときに、叔母から「花とゆめ」をもらつてその後しばらくは毎号買つてもらつてゐた、といふ話は以前書いたな。
そのあと「なかよし」「別冊少女コミック」「ひとみ」「Lala」と変遷する。
「別冊少女コミック」は入院したときにお見舞ひとしてもらつて、それで買ふやうになつた。吉田秋生のデヴュー作とおぼしきまんがを読んだ記憶がある。

入院してゐたときはほかにもお見舞ひとしてまんが雑誌をもらつて、中に名香知子の「緑の目の城主」シリーズ三作を掲載してゐるものがあつたなあ。どの雑誌だつたんだらう。
文月今日子のまんがも載つてゐたやうに思ふが別の雑誌だつたかもしれない。

叔母から「花とゆめ」をもらつたときは従姉と一緒だつた。
叔母から「花とゆめ」と「少女フレンド」とどちらがいいか訊かれて、従姉は「少女フレンド」、やつがれは「花とゆめ」を手にしたのだつた。
趣味がわかれてゐてよかつたな。
しかし、このとき「少女フレンド」を選んでゐたら、その後読むまんがもまた違つてゐたんだらうなあ。
従姉もその母である叔母もまんがが好きで、「はいからさんが通る」とか遊びに行つたときに読んだなあ。
従姉は(叔母は、かもしれないが)「プリンセス」を買つてゐて、「悪魔の花嫁」が怖かつたのと、「イブの息子たち」がなにがなんだかさつぱりわからなかつた記憶がある。「イブの息子たち」はそのわけのわからなさがいいんだけどさ。
「母恋千鳥」といふまんがもあつた。のちにオバタリアンと呼ばれるやうなをばさんの家に居候する少女・千鳥の物語だつた。
をばさんとその娘とからひどい扱ひを受ける千鳥だが、何作か読んでゐると千鳥にも抜けたところがあつたりして、一概に可哀想とばかりもいへないまんがだつた。
母が云ふには、以前はかうした「継子もの」のまんががあつたのださうだ。
リアルタイムで読んだのはこの「母恋千鳥」くらゐではないかなあ。

思へば、当時とまんがの趣味はあまり変はつてゐない。
だからいま読むものがあまりないといふ話もある。
健全なまんが読みの人はそのときどきにその場にあるまんがを読んで自分の中の「まんが」をアップデートしていくものなのだらう。
残念ながら、やつがれの「まんが」は「わが友フランケンシュタイン」や「赤い風船のささやき」、「だから旗ふるの」あたりで停まつてしまつてゐるやうだ。

Tuesday, 23 October 2018

増え続ける糸・毛糸

現在持つてゐる糸を全部使ひきれないだらうと思ふやうになつたのはいつだつたらうか。

気がついたら糸だらけになつてゐた。
あみものやタティングレースは趣味ではあるけれども、こんなにたくさんは編めはしない。
編めないのに糸を買ふ。
増える。
And so it goes.

Yarn Harlot を読んでゐると、あみものをする人といふのはさういふものなのだ、といふ。
一生かかつても編みきれないほどの糸を所有して、しかもさらに買はうとする。
この糸はおばさんのイタリアみやげだから編めない。
この糸はもう廃番になつた大好きな糸だから編めない。
さうして毛糸がどんどん増えていく。

かと思へば、Ravelry をはじめたばかりのころ、「いま編んでゐるものを完成したら次の糸を買ひに行く。だから手持ちの毛糸といふものはない」と云つてゐる人がゐて、すごいなあと思つた。
うらやましいとさへ思つた。
そんなだつたらどんなにいいだらう。

いま、タティングレースのスカーフを作つてゐる。
パピーのNew2Plyといふ極細毛糸を使つてゐて、これは「タティングでなにか作らう」と思つて最近買ひ求めたものだ。
タティングに使へるレース糸はいくらもある。
なのに買つてしまふ。
まあ、極細毛糸に関して云ふと手持ちにはそれほどはなく(つまりある)、タティングに使へるやうなものはないと思つてゐる。
だから買つてしまつたのだが。
でもなにも買ふ必要はなかつたのだ。
毛糸でなくたつていいぢやあないか。
レース糸でなにか作れば。

なぜそれができないのだらうか。

これが終はつたら、手持ちの糸でなにか作らう。
おなじ色おなじロットで何玉か持つてゐる糸があるから、それで春夏用のスカーフでも作るかな。

それにはいま作つてゐるスカーフを仕上げなければならない。
そして、それがいつのことになるか、まつたく知れないのだつた。

Monday, 22 October 2018

ヨガソックスとショートスヌード

やうやく、ヨガソックスとボスニアン・クロシェのショートスヌードとを仕上げた。

冷えてきたのでそのうち使ふだらうからといふのがひとつ、晴れて乾燥してゐるので乾きやすいだらうといふのが理由のひとつだ。

ヨガソックス

ヨガソックスは、9to5 Socks のつま先部分とかかと部分とを編まずにすませたものだ。
9to5 Socks はかかと部分に特徴があるのでどうかと思つたが、二目一度を使つた縄編み風の模様が気に入つたのだつた。
毛糸はパピーのブリティッシュファインで、これを0号五本針で編んだ。
ブリティッシュファインは双糸なのかな。編んでゐてちよつと割れやすいなとは思つた。
羊毛の匂ひのするところや、如何にも毛糸といつたもけもけしたやうすは好きだ。
最近はなめらかな編み地になる糸が多くて、かういふちよつとちくちくしさうな編み地になる糸は少なくなつてゐるといふ印象がある。
いまはおなじ糸で指なし手袋を編んでゐる。

ボスニアンクロシェのショートスヌード

ボスニアン・クロシェは「ボスニアンクロッシェのこもの」の本に掲載されてゐる。
糸は手持ちのダイヤエポカを使つた。作り目のときにやうすを見ながら120目にした。あとは本に載つてゐる編み方とおなじ、といひたいところだが、あちこち間違つてゐる。
このスヌードは表目と裏目とで市松模様の傾いたやうな模様が浮き上がる編み地になる。
見てみると、ところどころ表目と裏目とを編み間違へてゐるところがあるんだな、これが。
気がついてほどいて編みなほすこと一度ならずなのだが、気づかずに来てしまつたものもあるし、「これはこれでおもしろいか」といふので放置したものもある。

ボスニアン・クロシェではほかにもなにか編んでみたいと思つてゐるのだが、編みたいものと手持ちの毛糸とが一致しない。どうしたものかな。

Friday, 19 October 2018

腸内環境の改善

去年のいまごろ蜂窩織炎にかかつた。
その後インフルエンザにかかり、ヘルペスを発症した。
弱つてゐるな。
さう思つた。

蜂窩織炎にかかるまでは、折を見て仕事帰りに映画を見に行くこともあり、ときには落語会に行つたり芝居を見ることもあつた。
当然帰りが遅くなるのでその分睡眠時間は削られる。
それでも平日の夜出かけてゐた。

それをほぼ完全にやめてしまつた。
最近では土日に出かけることも控へつつある。
とにかく疲れる。
映画や芝居を見に行かなくなつたからといつて、十分な睡眠がとれてゐるわけではないからだ。
そこが不思議なのだが、仕方がない。
九月最後の連休に寝込んでしまひいまだに咳が抜けない状態であることを考へると、あまり遊び歩くなと躰が云つてゐるのだとしか思へないのだ。

蜂窩織炎にしてもインフルエンザにしてもヘルペスにしても、免疫が機能しづらくなつてゐるのだらう。
それに気がついたのは、今回の不調のときだ。
遅まきながら気がついただけましとしたい。
免疫に問題がある場合は、腸内環境とやらを改善するといいのらしい。

さういへばもう何年も前のことになるし、いつの代表のことだかわからないけれど、サッカーの日本代表選手たちが花粉症に悩まされて練習がつらい、といふ話があつた。
栄養士の人だかが「腸内環境をよくすれば改善する」と云つたとかなんだとかで、選手たちはヨーグルトを食べるやうにしたのださうだ。
すると、花粉症の症状も軽減して、かなり楽になつたのだ、と聞いてゐる。
代表選手のうち何人くらゐが花粉症で悩んでゐて、そのうち全員がヨーグルトを食べるやうになつたのか否かや、何人の症状に改善が見られたのかといつた情報はまつたく知らない。

しかし、腸内環境を改善すると花粉症にも効くこともあるのらしいといふことはわかつた。
すごいな、腸内環境。

といふわけで、水分をとるやうにしたり繊維ものを摂取したり、それこそヨーグルトを食べたり肩を回すといいと云はれては回したりしてゐるのだが。
これでほんたうに腸内環境がよくなつてゐるのだらうか。
腸内環境がよくなつたらまた平日の夜に映画を見たり芝居を見たりできるやうになるだらうか。

睡眠不足のままではダメか。

Thursday, 18 October 2018

だらだらと文章を書く

あひかはらず「なんでも帳」を持ち歩いてゐる。

Bullet Journal と PoIC と併用してゐることもあつて、なんでも帳には以前ほど書き込まなくなつてはゐる。
以前は二、三ヶ月に一冊を使ひ切つてゐたが、いまのなんでも帳を使ひはじめたのは六月中旬だ。もう四ヶ月が過ぎてまだ手帳の半分にも達してゐない。

いまなんでも帳にしてゐるのは Smythson の Panama だ。
前回は LEUCHTTRUM のポケットサイズで、大抵は Moleskine のポケットサイズと Panama とのあひだを行き来してゐる。
文庫サイズやB6サイズのノートも使つてみたけれど、どうもこの預金通帳に近い大きさの手帳が自分にはちやうどいいやうだ。

Bullet Journal や PoIC に書けることはだいたい書いてしまふ。
なんでも帳はもう必要ない。
さう思ふこともある。

Bullet Journal と 情報カードを使つた PoIC となんでも帳との違ひはなにか。
Bullet Journal と PoIC とは箇条書きだが、なんでも帳はとにかくだらだらと書くといふことだ。

情報カードにはあるていどまとまつた文章を書くこともある。
Bullet Journal は完全に箇条書きばかりだ。
本や芝居の感想も Bullet Journal に書いてゐて、箇条書きの印をはづせばほとんどただの文章になりはするものの、それでも箇条書きで書いてゐる。
話題が飛んだときに便利だからだ。

本や芝居の感想は、基本的には時系列に書いてゐる。
はじめはかうで、かうなつて、中盤でああなつて、最後はかう、みたような、そんな感じだ。
しかし、書いてゐて、突然いま書いてゐる場面とは違ふ場面のことを思ひ出すことがある。
かういふ時、文章で書いてゐると割り込みづらいが、箇条書きならさうでもない。
行をあらため、冒頭に箇条書きの印を打つて、「先の場面ではかうだつた」と書き、また行を改めて箇条書きの印を打つて、もとに戻ればいい。
箇条書きの方がさうした自由度が高いのだ。

ではなぜなんでも帳も使つてゐるのかといふと、ただだらだらと文章を書きたいこともあるからだ。
徒然草ぢやあないけれど、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きしるす。
さうしたいこともあるのだつた。

また、旅先などで荷物を最小限にしぼりたい場合はなんでも帳だけを持つてゆく。
バイブルサイズとはいへシステム手帳の Bullet Journal はちよつとかさばるし、情報カードは出先では取り扱ひが煩雑なことがある。
そこいくと預金通帳くらゐの大きさのなんでも帳は取り回しも楽で、なにを書いてもいい。
Bullet Journal や情報カードにはあとで書き写せば済む。

あとは、Moleskine を使用してゐるときはその限りではないけれど、なんでも帳は使ふペンを選ばないのもいい。
Bullet Journal は方眼用紙を使ふこともあつて、あまりペン先の太いものは使ひづらい。
情報カードは5×3と書けるスペースがせまいので、やはりあまり太いペンは使へない。
そこで、ちよつと太字のペンなどはなんでも帳で使ふ。
LAMY 2000の極細を使用してゐて、極細といひながらどう見ても中字くらゐの太さのある線しか引けない。
Bullet Journal や情報カードには向かないが、なんでも帳なら問題ない。

いい加減、三つもノートとして使用するものを使ひわけるのはよさうと思ひつつ、なかなか思ふにまかせないのにはいろいろ理由があるんだよなあ。

Wednesday, 17 October 2018

toxic workers

うしろ向きな人間は職場では「toxic workers」とか云はれてしまふのらしい。
職場にゐてほしくない、雇ふべきでない人間といふことだ。

十人十色、人によつて考へ方が違ふといふ信念の持ち主も、否定的な意見については認めたくないといふやうすがありありと見えることがある。
人によつて考へが違つて、いろいろな意見があつて当然といふならば、ものごとに対して否定的な意見ももちろんあつてしかるべきなのだが、かういふ人はさうは思つてゐない。「そんなことないよ」と云ひながら、心の底では或は無意識のうちに「否定的な意見はあつてはいけない」と思つてゐるのに相違ない。

「いろんな意見があつていい」といふことは「いろんな意見があつてはいけない」といふ考へは許容しない、といふのは理解できるんだけどな。
許容したら成り立たないものな。

toxic workers といふことで云ふと、うしろ向きな態度といふのは伝染するのださうだ。
だから職場にはゐてほしくないといふ。
うしろ向きな姿勢の蔓延は仕事の効率を下げるからだ。

しかし、仕事は効率のみで語るべきものだらうか。
品質は? 最近ではコンプライアンスなどといふことがうるさく云はれたりもする。

コンプライアンスの遵守には、前向きで楽観的な考への人間よりもうしろ向きで悲観的な考への人間の方が向いてゐる気がするがなあ。
コンプライアンス違反といふのは、案外気軽なきもちでやつてしまふことが多いやうに見受けられる。
職場ではかういふきまりになつてゐるけども、守らなくても仕事の出来不出来には関はりないし、時間もないし、やつてしまへ。
さう楽観的にものごとをとらへる人がコンプライアンス違反者になる例がある。
かういふ場合、むしろ前向きで楽観的な社員の方が「toxic workers」なのではないか。

もちろん、前向きで楽観的な人がみな法令や社内規則を軽視するとは云はないし、うしろ向きで悲観的な人間の中には法律なんぞ知つたことか、社内規則なんてくだらないと思つてゐる人もゐるだらう。

思ふに、みんながみんな前向きで楽観的な職場といふのはよくないのだと思ふ。
多様性に欠けるからだ。
toxic で infective かもしれないが、うしろ向きで悲観的な社員もゐた方がいいはずだ。
世の中がさうしたものだからだ。

そして、なぜ前向きで楽観的な姿勢といふものが infective ではないのかを考へた方がいいと思ふ。

Tuesday, 16 October 2018

外でモチーフ家で合体

極細毛糸のタティングレースのスカーフをぼちぼち作つてゐる。

先日、名古屋に日帰りで行つた折り、新幹線の中などで作つてゐたモチーフをうまく本体のスカーフにつなげることに成功した。
これで遠出するときはスカーフ本体を持ち歩く必要はなくなつたな。
シャトルに糸だけ巻いて、出先で作れるだけモチーフを作つて、帰宅後にスカーフ本体に合体させればいい。
タティングレースにはさういふ作り方のできるものもある。
以前も出先ではひとつひとつモチーフを作り、家でつなげるといふものを作つてゐたことがあつた。
これの利点は、出かけるときに大きいレースものを持ち歩く必要がないといふことだ。
外では小さいモチーフを作ればいいといふのもいい。
ちよつと楽しくなつてきたな。

今夜にもヨガソックスを編み終はりさうな状態なので、次になにを編むか決めるあひだにタティングをしやうかな。

Monday, 15 October 2018

次に編むもの

ヨガソックスも片方は編み上がり、もう片方も甲に入つたので、すぐできあがることだらう。

問題は、そのあとなにを編むか決めてゐないことだ。

一昨年の冬から編みかけのままになつてゐる袖なし羽織の続きを編むか。
それともなにをとち狂つたのか買つてしまつたきれいな色の毛糸でマフラー(またかい?)でも編むか。
或は夏に編んでゐたショールを完成させるか。あとちよつとでできるところまできてゐる。綿だからいまからでもまだ使へるし。

先日も書いたやうに、ちやんとつま先とかかととのあるくつ下を編みたい気もする。
糸はある。
あとは編むだけ。
そんな感じだ。

それと、いまはなんとなく帽子を編んでみたい気分だ。
帽子はあまり編まない。
使はないからだ。
以前、朝一番のバスで出勤してゐたことがあつて、冬のあひだはバスや電車を待つちよつとした時間の寒さに耐へられず、自分で帽子を編んだことがあつた。
それ以降、手編みの帽子をかぶることに抵抗はない。
抵抗はないのだが、帽子をかぶつてメガネをかけマスクをするとアヤシい人ができあがつてしまふ。
さう考へると、なかなか手編みの帽子をかぶる機会がないのだつた。
去年は長いストールを編んだから、やらうと思へば真智子巻きができるしね。

ボスニアンクロシェでもなにか編んでみたいし、ノールビンドニングは糸の選定からはじめないとなあ。

とか云つてゐるあひだにヨガソックスをなんとかしやう。
うむ。

Friday, 12 October 2018

すゑのまつやまなみもこえなむ

一昨日、昨日と歌舞伎や文楽にまつはるうしろ向きな話について書いた。

歌舞伎や文楽は、たまたまやつがれが好きなものだから例として出した。
ほんたうに考へてゐることは、「どうしたらうしろ向きに生きられるだらうか」である。

「どうしたら」などとことはらなくても毎日うしろ向きに生きてはゐる。
どうしても前向きには生きられない。
世に「うしろ向きな社員は不要」「うしろ向きな人とともだちになると不幸になる」などといふ言説がある。
この世を統べてゐるのは前向きな人たちなのだらう。

考へてみたら、やつがれだつて十分前向きだ。
前向きでなかつたら、いつ来るかわからないが必ず来る大地震の控へてゐる日本になど住み続けられるわけがない。
自分が生きてゐるうちは大丈夫。
根拠もなく心のどこかでさう信じてゐる。
前向きだらう?
positive thinking といふべきなのかもしれない。

人間とはさうしたものだ、といふ話もある。
だから生きてこられたのだ、と。
さうなると、前向きに考へるといふのが人としての本来の姿なのかもしれない。
ゆゑにうしろ向きな考への人、negative thinking な人は忌避される存在なのだらうなあ。
カサンドラの云ふことなど、誰も聞きたくないのだ。

個人的な経験からいつて、うしろ向きな考へは危機管理につながるやうに思ふ。
「もしかしたら悪い結果になるかもしれない」と思ふ心が準備をさせる。
リスクを常に考慮に入れる。
かういふ人間もあまり好かれないのだが、でも必要だと思ふんだよなあ。
最悪のシナリオを考へない仕事とか、恐怖でしかない。

だが、さうやつて世間での居場所を求めるからいけないのかもしれない。
以前、南條竹則の「人生はうしろ向きに」といふ本を読んだ、といふ話はここに何度か書いてゐる。
読む前は「うしろ向きに生きつつ世間と折り合つていく方法について書いてあるといいな」と思つてゐた。
そんな内容はまるでなかつた。
うしろ向きな人間は、世間様と交はつて生きてはいけない。
さういふことなのだらうかと思つた。

そして、それはおそらくさういふことなのだらうと思ふ。
うしろ向きに生きていかうとしたら、非社会的な自己を確立するしかない。
どうやらさういふことなのらしい。

自分は自分でうしろ向きに生きていく。
だからかまつてくれるなおつかさん。
背中に銀杏はないけれど、negative thinker どこへ行く。

さうこなくてはいけないやうなのだ。

それは「人生はうしろ向きに」を読んで以降、いや、そもそも読む前からうすうす気がついてはゐたことだつた。
うしろ向きな人間は社会になじまない。
そんな社会が悪いのかもしれないが、ここではそれは問はない。
なじまないのだから、非社会的になるしかないのだ。

以前は、自分のことをそれなりに非社会的な存在だと思つてゐた。
世間なんてどうでもいい。
ひとりで生きていくんだ俺は。
さう思つてゐた。

だがあるきつかけがあつて、でも仕事を辞められないことに気がついた。
仕事を辞めたら社会とのつながりが一切なくなつてしまふ。
さう考へたら辞められなくなつてしまつたのだ。

なんていふことだ。
こんなにうしろ向きなのに、それでもまだ社会とのつながりを求めてゐたのだこの俺は。

選択肢はいろいろ考へられる。
どうにかして前向きな人間になる、とか。
うしろ向きな人間であることを隠して世間様とつきあつていく、とか。
うしろ向きなことを否定せず、また世間とも折り合つていく、とか。
非社会的な自己を確立して、堂々とうしろ向きに生きていく、とか。

最後の選択肢が一番のぞましいが、さりとては、だ。
計画を練らねばならないな。

Thursday, 11 October 2018

古き世のみぞ慕はしき: だんまり

昨日、歌舞伎や時代劇は昔のものの方がいい、といふ旨のことを書いた。

しかし、こと歌舞伎に関しては実際のところ、しかとさうだとはいへない。
比べて見ることができないからだ。
昔見た芝居は見た人の記憶の中にしかない。
たとへ映像で残つてゐたとしても、それは実際の舞台ではない。
映像といふことは撮影した人がゐて、その人或はその人に指示した人の思惑で映す部分が変はる。
ゲキシネなどを見てゐて、「ここが見たいんぢやないのに!」と思ふのもさういふことだらう。

また、舞台を見たときに見えたはずのものが映像だと見えないこともある。
十三代目片岡仁左衛門の「車引」の時平を見たことがあつて、登場する場面で陽炎がたつやうに時平とその周囲がめらめらと揺れたやうに見えた。
あんなに妖しい時平は以降見たことがない。
だが、そのとき(その日ではないかもしれないが)の映像を後に見たら、陽炎のやうなゆらめきなど皆無だつた。
をかしいなあ。あのとき、さう見えたはずなのに。

時代劇のやうに比較して見られたとしても、判定には主観が入るからむつかしい。
ある人は古いものの方がいいといひ、ある人は新しいものの方がいいといふ。
多数決でもとれば白黒つくのかもしれないが、多数決で決まるものでもない。

でも確実に新しいものの方がどうかしてるよ、といふものがあつて、それはだんまりだ。
今月歌舞伎座で「宮島のだんまり」がかかつてゐるといふ。
まだ見に行つてゐないのだが、見た人の感想をちらほら見るに、あまりかんばしくない出来のやうだ。
次から次へと人が出てきて漫然と動いてゐるだけ、みたやうな感じなのだらうと推測する。

だんまりといふのは、月が雲にかくれてしまつて真つ暗闇の中、といふ前提のもとに演じられる。
夜でも灯りのついてゐる現代に暮らしてゐるとわかりづらいかもしれないが、さういふものの一切ない状態で月が隠れると、これはもう一寸先も闇だ。

歌舞伎役者は巡業に出るので夜の月の明るさを体験することはあるだらうと思ふのだが、その逆の闇を体験することはあまりないのかもしれない。

菊之助がお岩さまを演じたときだつたらうか、地獄宿で灯りを消して真の闇の中を歩くといふ演技を小山三で見たことがある。
なるほど、見えないとき人はかういふ動きをするよな、といつたとてもすばらしい動きだつたと記憶する。
小山三はおそらく知つてゐたのだらう。
灯りもない真つ暗な夜のことを。

役者として体験したことのないことができないといふのは致命傷だとは思ふ。
だつてさうしたら人殺しの役とかできないわけでさ。
舞台の上で死ぬことだつてできない。
だつてやつたことないんだから。
それでは話にならないが、体験できることは体験しておいた方がいいのだらう。
先代の芝翫が六代目についてゐたとき、藁打ちやなにやかや「やれ」と云はれ、のちに役の上でやることになつて「やつておいてよかつた」といふことがあつたと云つてゐるし。

だんまりは「東海道四谷怪談」の地獄宿の場とははちがつてもつと形式的な場面だ。
よつて、あまりリアルな動きをしても雰囲気を壊すことになる気はする。
でも、闇の中で人がどう動くか、自分がどう動いたかを覚えてゐれば、また違ふのではないのかなあ。
実際にやつてみやうといふ役者はゐないのだらうか。

役者だけではない。
やつがれが歌舞伎を見始めたころ、もう染料の劣化を嘆く声があつた。
「最近の赤の染料はよくない。安つぽくてぺかぺかした色になる」などといふ話を聞いたものだ。
昔の色を知らないのでなんともいへないが、さうした劣化はあちこちにあるものと思ふ。

いま御園座で「切られ与三」を上演してゐて、「源氏店」の場では与三郎は藍微塵の着物を着ることになつてゐる。
この藍微塵を織れる人はもうゐないと何年か前に聞いてゐたが、どうやらまだおひとり残つてゐるのらしい。
その人に頼んだのかどうかは知らないが、与三郎を演じる梅玉は新たに藍微塵を織つてもらつて衣装を仕立てたのださうだ。

また、昔ながらの豆絞りの手ぬぐひも払底してゐる。
有松ではまだ染めてゐるものの、なくなるといふので「浜松屋」の弁天小僧のために菊五郎が一疋買つた、といふ話をこれも何年か前に聞いたことがある。

小道具なんかもさうなんだらうなあ。
いまはもうないものもあるのだらう。
きつと小道具担当があれこれ工夫してゐるんだらうなあ。
小道具の工夫は昔からあつたものだらうけれど、これまであつてあたりまへだつたものがどんどんなくなつていくのに対処するやうな工夫ではなかつたのではないかといふ気がする。

大道具は、大道具担当自体が劣化してゐる気がする。
歌舞伎座の大道具はちよつとひどい。
床にしく畳や板間を表現する布が、どこかしらたるんでゐるのだ。
昔からさうだつたか知らんと思つてゐたが、国立劇場で見るとさうでもない。
よくよく場面転換のときに見てゐると、布の両端を引つ張らずに片側だけ引つ張つてよしとしてゐる大道具の人がゐる。
それで皺がよつたままになつてしまふのだ。
実際、たるんだ布に足を取られて転びさうになつた役者もゐたと聞く。
それでもあらたまらない。
誰かが大けがをするまでこのままなんではないか、否、大けがをしてもこのままなんではないか。
かういふ劣化もある。

さう考へると、「新しい方がいいことつてなんだらう」と疑問に思つてしまふんだよなあ。
新しい方が現在の嗜好にあつてゐるんぢやあるまいか、といふことはある。
現代人の感覚にあはせて演出や細かいところを変更してゐる場合はね。
でも一口に「現代人」といつても大勢ゐるからなあ。

Wednesday, 10 October 2018

当たり前のこと

八月に双蝶会に行つた。
双蝶会は歌舞伎役者の中村歌昇・種之助兄弟の自主公演である。
このとき、背後の席にかなりの中村吉右衛門贔屓とお見受けする方が座つてゐた。
背後なのでそちらの方は見なかつたが、幕間に隣の席の人と話してゐるのをちらと耳にしてそんなことを思つた。

吉右衛門が父の幸四郎・兄の染五郎とともに東宝から松竹に戻つてきたときの舞台の話をしてゐたり、吉右衛門襲名の興行を見た話をしてゐたり、最近の舞台の話でも吉右衛門のことを手放しでほめ称へてゐたり、双蝶会についても「たとへつたなくても「播磨屋に教はつた」といふことが大事。それが歌昇・種之助のためになるし、稽古を見てゐた人々みんなのためになる」みたやうな話をしてゐたり、大変失礼とは思ひつつ「いいこと云ふなあ」と思つてゐた。

そのうち、なぜだか話は文楽のことになり、一緒に話してゐた人が「最近は席がとりづらくて」とこぼすと、「さうなんだつてね」とあまりよくご存じのないやうす。
「文楽には行かれないんですか」との問ひに、「だつて僕は、越路太夫や津太夫を聞いてるからね」と云ふではないか。

ちよつとかちんとこなかつた、といへば嘘になる。
しかし、この後この人の語つた過去に聞いた義太夫の話は大変すばらしかつた。
もう細かいところは忘れてしまつたが、誰の何はそれはすばらしくて、某の何の何段目なんか涙が止まらなくて、通へるだけ通ひつめた、みたやうな話を熱く語つてゐた。
そこに自慢はなかつたやうに思ふ。

歌舞伎では「團菊爺」または「菊吉爺」などと呼ばれる人々がゐる。
若い頃に九代目市川團十郎・五代目尾上菊五郎を見てゐて、年を取つたいまなにを見ても「團十郎はよかつたなあ」「菊五郎はああぢやあなかつた」と「昔はよかつたなあ」と云ふ人々のことを指す。
さすがに九代目と五代目を見た人はもうゐなくなつてしまつて、その後は六代目尾上菊五郎・初代中村吉右衛門を見た人のことを「菊吉爺」などと
呼ぶ。

そんなこと云つたつてね。
聞く方はさう思ふ。
だつて見たことないわけだしさ。
見られもしない。
六代目と初代とならまあ映像も残つてゐないわけぢやあないけれど、それと実際の舞台とはまつたく違ふだらうしさ。

しかも、そこはかとなく自慢げなのが気障りだ。
「俺は見たもんね」「お宅は見たことないだらうけど」みたような、ね。

でもなあ。
なんとなく、わかるんだよなあ。

たとえば時代劇である。
一時、八代目松本幸四郎の「鬼平犯科帳」とTVドラマの「座頭市物語」「新・座頭市」、「大江戸捜査網」の第三シーズンの再放送を見てゐた時期がある。
鬼平が1969年、座頭市が1974年、「大江戸捜査網」が1973年の放映だといふ。
見てゐると、鬼平が一番「それらしい」のだ。
なにが「それらしい」のかといふと、市井の人々のやうすだ。
井戸端会議をしてゐる長屋の奥さん連中なんか、もうほんとに鬼平の時代にはかうしてゐたんぢやないか知らんと思ふやうなリアルさなのだつた。
鬼平は八代目幸四郎、丹波哲郎、萬屋錦之介、中村吉右衛門が演じたドラマがあつて、おなじ話をどの鬼平でも映像化したものがある。
「昔のおんな」の昔のおんなの女ともだちに関しては、八代目幸四郎のときが圧倒的にいい。
髪の結ひやうから着物の着方、佇まひ、どれを取つてもそれつぽい。

無論、当時の江戸がどうだつたかなんて知るよしもないし、実際には全然違つたのかもしれないとも思ふ。
この「それらしさ」がどこから生まれるのかさへわからない。
わからないけれども、昔の作品の方が「よくできてゐる」やうに思へてしまふんだなあ。
「座頭市物語」だつて「新・座頭市」よりそれらしい感じがすることがある。
なんだか世の中さういふものらしいのだ。

さうすると、菊吉がよかつたのは当然で、團菊がよかつたのは云ふも愚かといふことになる。

時の流れとともになにかが失はれてゆく。
さういふものだとするならば、今後歌舞伎や文楽になにを求めてゆけばよいのか。
ぼんやりと途方にくれてしまふ。

Tuesday, 09 October 2018

Travel Tatting

日曜日に名古屋に行つた。
御園座で歌舞伎の顔見世興行を見に行くためだ。

Travel Tatting

御園座にはこの四月にも行つた。
このときは松本白鸚・松本幸四郎の襲名披露公演だつた。
名古屋には、新幹線で行つた。
四月は、レース糸を巻いたタティングシャトルを持つて行つて、新横浜くらゐから Mary Konior の Curds and Whey を作り始め、帰りの新幹線結べるところまで作つた。

今回は極細毛糸をシャトルに巻いて、名古屋行きの新幹線に乗つてから東京行きの新幹線で降りるまでできるところまでスカーフ用のモチーフを作つた。
途中までできてゐるスカーフを持つて行くのはちよつと気が引けたので、モチーフつなぎとして独立したものを作り、あとで本体とつなげるつもりで作つた。
あとでつなげるのはちよつと手間な気がしたが、そこはそれ、である。
やつてみなければわからない。

といふわけで、ここに貼つた写真が時系列の写真だ。
青いもの(かばん)の上にモチーフの載つてゐる写真は御園座で撮つたものである。

Travel Tatting

しかとは覚えてゐないのだが、新横浜を過ぎてちよつと行つたあたりから作りはじめて、浜名湖を過ぎるくらゐまではタティングしてゐた。
そこでちよつと疲れてしまつて、すこし休み、三河安城の手前からまた結んだ。
それでこんな感じである。

帰りの新幹線は通路側の席で、乗つた直後に夕食を食べそれからタティングをはじめたので、どのあたりからかは定かではない。
気がついたら「ただいま浜松駅を通過しました」的なメッセージが出てゐたことだけは確かだ。
そこから小田原駅を過ぎるくらゐまではちよこちよこ休みながら結んでゐた。

結果、モチーフ二枚とちよつと、といつたところだ。

Travel Tatting

以前このモチーフでスカーフを作つたときはもつと早く作れたやうに思ふのだがなあ。
気のせゐだつたのかもしれない。
また、今回は途中からシャトルのカチカチいふ音がしないやう気を遣ひながら結んでゐたので、それで時間がかかつたといふ話もある。

音といへば、見てもわかるやうに最初シャトルにはめいつぱい糸を巻いた。
「めいつぱい」ぢやないか。シャトルの許容量を超えた量の糸を巻き付けた。
世に「藤戸巻き」といふとかいはないとかいふが、本家藤戸巻きはこんなものぢやなかつたやうに思ふ。

かういふ巻き方は、シャトルによくないしはみ出た糸が汚れやすいからしなさんな、といふのがお約束とされてゐる。
至極もつともだと思ふ。

だがこの巻き方にもいい点はあつて、まづ、糸を引き出しても音がしない。
シャトルの上下が開くほど糸を巻いてゐるのだから、そりや音はしない。
通常はシャトルの上下が閉じてゐて、糸を引き出すときはそのあひだを通すので、一瞬シャトルの上下が開いて閉じる、そのときにカチと音がする。
このカチカチいふ音がリズムを刻んでいい感じなのだが、外でタティングをする場合、必ずしもいい結果をもたらすとは限らない。
うるさいと思ふ人もゐるからだ。
そこでこの巻き方だ。

また、シャトルの糸切れ回数が減るといふ利点もある。
ただ、ボビン形式のシャトルには向かない。
ボビン形式の場合、糸を巻きすぎると糸がボビンとシャトルとのあひだに入りやすくなつてしまふからだ。さうなるといちいちボビンをはづして糸をボビンに巻き付けなほさなければならない。

もともとおすすめできない巻き方ではあるが、時と場合と自己責任、といつたところか。

Monday, 08 October 2018

三歩進んで二歩下がる

ボスニアンクロシェは編んではほどき編んではほどきでなかなか進まない。

ボスニアンクロシェ in Progress

ボスニアンクロッシェのこもの 北欧のかわいい手編みテクニック」からショートスヌードを編んでゐる。
編み始めたのが九月三十日。もう一週間以上たつが、一進一退をつづけてゐる。
なぜといつて、間違へたといふのでほどくからだ。
このショートスヌードは表目と裏目を三目づつ三段編み、四段目で表目と裏目とを入れ替へる模様だ。
ボスニアンクロシェは斜行する。
それを踏まへて編んでゐるつもりで、ときどき間違へる。
そして間違へたことに気づかずに数段編んでしまひ、気づいたときには手遅れで、ほどくことになる。
それで進まないといふ寸法だ。

そもそも、ボスニアンクロシェを編むのに時間がかかる。
これはやつがれ個人の問題かと思ふが、右手にかぎ針を持ち右手で針に糸をかけるので、通常のかぎ針編みよりは時間がかかるわけだ。
本には右手の人差し指に糸をかけて針に引つ掛けるやうにすると書いてあるが、この方法だと手がどんどんきつくなつてゆく。あ、もちろん、これは個人的な問題である。
それで最初のうちは棒針編みで右手で糸をかけるときのやうにしてゐたのだが、これだととにかくはかがゆかない。
いまは左手で編み目を抑へつつ、右手の人差し指に糸をかけて編む練習をしてゐる。

ボスニアンクロシェの編み地は密でしつかりしたものになる。
ダイヤエポカで編んでゐて、そんなに地が厚いといふ感じはない。
目が密だからあたたかくなるのかなあ。
ちよつとできあがりが楽しみである。

それにしても、もうあみものかタティングかどちらかにしやうと思ひ、さらには棒針編みかかぎ針編みかどちらかにしやう、さうしないと時間が足りないと思つてゐるといふのに、なんでまた新たなことをはじめちやふかな。
ノールビンドニングもしたいとは先週も書いたとほりだ。
困つたものだ。

ヨガソックスもぼちぼち編んではゐる。

Friday, 05 October 2018

Bullet Journal とメモ魔

最近また少し Bullet Journal の書き方が変はつてきた。

何が変はつてきたかといふと、以前よりメモを Bullet Journal に書き込むやうになつたといふ点だ。
これまでメモは情報カードに書くことが多かつた。
情報カードはそのために使つてゐるので、至極当然といへる。

その情報カードの使ひ方をすこし変へることにした。
それについては以前ここにも書いた。
今後増えつづけることを考へて、日々の生活の記録は書かず、思ひつきや引用だけを書くやうにすることにした。
それで日々の生活の記録が Bullet Journal にうつつてきたわけだ。

また、「植草甚一のコラージュ日記 東京1976」を読んだことも影響してゐる。
その日食べたもの、買つたものなどを書くやうにになつた。
行つた先はこれまでも書いてゐたが、より詳細に書くやうになつた。
一日に書く量が圧倒的に増えてきたわけだ。

Bullet Journal とは、Rapid logging を標榜するものである。
Bullet Journal が箇条書きを推奨してゐるのは、rapid logging を実現するためだ。
とにかく書き留める。
すばやく書き留める。
そのための Bullet Journal であり、ゆゑに箇条書きなのだ。

それを考へると、日々のメモの量が増えていくのは当然のこととも思へる。
気になることをあれこれ書き留めてゐたらあつといふ間にメモだらけになる。
Bullet Journal はそれでいい。
そのはずだ。

しかし、メモが増えてくると、その日の予定やToDoが埋もれてしまふんだよなあ。
その日の予定やToDoは最初に書くやうにしてはゐる。
してはゐるけれども、書き留めたいことといふのは不意にわいてくるものだ。
ときに予定のあひだに「忘れないうちに書き留めなければ」といふので割つて入ることもある。

さうすると、いくら頭に印をつけてゐたとしても、埋もれてくるものはあるのだ。

そこは、これまた Bullet Journal の真髄ともいふべきレヴューのときに拾ひあげればいいのかもしれないけれども。
その日の予定が埋もれたらまづいよねえ。

メモ魔の人には Bullet Journal は向かないのかもしれない。
メモ魔の人は、スケジュール帳とメモ帳とを分けて使ふものなのかもしれない。
最近さう思ひはじめてゐる。

でもまあ、Bullet Journal はまだつづけるつもりだけれどもね。

Thursday, 04 October 2018

物欲の秋

先週末、東京インターナショナルペンショーに行く気満々で、結局行けなかつた。
三連休にあひだに高熱を出し、その後咳と鼻水とがぬけない。
つひ一昨日くらゐまでは嗅覚が麻痺してゐたやうで、ほとんど匂ひもしない状態だつたし、あひかはらず咳込んでは周囲の人々に迷惑をかけてゐる。

そんな状態なので、泣く泣く浅草行きはとりやめたのだつた。

それでよかつたやうな気もしてゐる。
現在万年筆に対する物欲がまるでないからだ。

物欲がまるでない、とか云ひながら、七月にはhelico の sucre を買つたのだが、いまのところそれを最後に買つてゐない。
プラチナの薫風やprocyonも買つてゐない。
薫風は名前が、なー。
KとPつて音が強すぎる気がするんだよね。
しかもどちらもあとにくるのがUの音で、やはらかさに欠ける。
あとで考へたら、レ点を打つて「風かをる」とでも読めばよかつたのかもしれないと思つたが、手遅れだつた。
procyonは、出会ふ機会がなくて、そのままになつてゐる。
出会ふ機会がないといへば薫風もさうか。
procyonはもしかするとそのうち入手してゐるかもしれないけれど。

といふのは、手持ちのペンで十分に使へてゐないものがたくさんあるからだ。
もつと持つてゐるペンを活用したい。
活用、といふとちよつと違ふかな。
とにかく使ひたい。
書きたいのだ。
しかるに時間がない。

書くことにはこと欠かない。
なにも書くことがなかつたら、気に入つた文章などを書写すればいいのである。
文章でなくてもかまはない。
芝居の外題だとか名せりふだとか、名でなくても好きなせりふだとか、書きたいことはいくらでもある。
しかるに時間がない。

時間なんて探せばあるんですよ。
人はさう云ふ。
ほんたうだらうか。
家に帰る。
支度をして夕飯を食べ片づける。
風呂を沸かしながらラジオ講座を聞く。
入浴して冷ましながらラジオ講座のつづきを聞き、あとはぼんやりする。
時間が来たら寝る。

この中で変更が効くことがあるとしたら入浴後の過ごし方だが、実際のところ、ここでぼんやり過ごすからなんとか一日平穏に過ごせてゐるのであつて、なかつたら……なかつたらおそろしいことになる気がする。
それに、ぼんやりしないのだつたらさつさと寝るべきなのだ。ほんたうは布団の中でぼんやりすればいい。さうも思ふ。
とにかく睡眠時間が足りてゐない。
だから熱など出すわけで。

これは時間のない云ひ訳だらうか。
さうは思はない。
日々なににどれくらゐ時間がかかつてゐるか数ヶ月調べて、だいたい平均的なところを出してみて、削れるところがあるとしたら通勤時間と勤務時間で、それは削りたくても削れない時間なのだつた。
あとは夕飯を食べるのをやめるくらゐかな。

手持ちのペンさへ満足に使へてゐないのに、ましてや新たなペン。
いまはそんな気持ちだ。

それは、長引く不調のせゐかもしれないし、いつまでも止まらない咳のせゐかもしれない。
元気になつたあかつきには(そんな日が来るとして)、また新たなペンを求めてゐるかもしれない。

でもいまは手持ちのペンで思ふ存分書く時間がほしいな、といふのが正直なところだ。

Wednesday, 03 October 2018

教科書に書いてあること

高校の化学の授業でイオン化傾向を習つた。
その仕上げとして、実験があつた。
得体の知れない液体を渡され、何のイオンが入つてゐるか同定せよ、といふ実験だ。
五、六人のグループにひとつ試料が渡され、各自教科書とそれまで得た知識をもとに濾過したり熱したりさまざまなことをはじめた。

ところが、ほとんどのグループは最初の段階でつまづいてしまつた。
やつがれのゐたグループも例外ではなかつた。
色や匂ひから察して「まづはかうだらう」と試したことがうまくいかない。
ほかのグループも同様らしかつた。
おそらく、教師が試料を作るときに、器具をきれいに洗浄しなかつたときがあつたのだらう。

出ない知恵をみんなでしぼり、教科書とノートとをなんどもめくつて確認し、何度かやりなほし、教師にも相談したけれども、結局時間切れになつてしまつて、試料になにが入つてゐたのかはまつたくわからず仕舞だつた。

もちろん、教科書とは違ふことをしてみやう、といふ意見も出した。
だが、おなじグループの人を説得することはできなかつた。
みな、「教科書は正しくて、我々がなにか間違つたことをしてゐるのだ」と一途に思ひつめてゐた。
もうちよつと余裕のあるときなら、「ぢやあ別の方法をやつてみやうか」といつてくれる人もゐたかもしれない。
だがそんな余裕はなかつた。

信じてゐたことがうまくいかなくて煮詰まつてしまつた人々にとつて、なにか新しいことをするといふのは実にむつかしいことだ。
いまはさう思ふが、当事者になると二進も三進もいかない。

この実験について、宿題としてレポートを提出することになつてゐた。
最後に所見として、「教科書どほりにやらうとしたのが失敗のもとだつたかもしれない」といふやうなことを悔しまぎれに書いた。
レポート返却の際、めづらしく教師のコメントがついてゐた。

先日ノーベル医学・生理学賞を受賞した本庶佑教授が「教科書に書いてあることが全部正しいと思つたらそれでおしまひだ」といふ旨の発言をした。

母は世界各国の首都を覚えてゐることを自慢にしてゐたが、時折間違つてゐることがあつた。
どうやら母が覚えて後、首都を移転した国があるのらしい。
分裂したり統合したりした国もある。
だが母はその時点での首都を覚えやうとはしない。
自分が習つたときの教科書が正しい。
さう思つてゐるやうに自分には見える。

たとへば鎌倉幕府の成立年は、やつがれが習つたころは1192年だつた。
それが研究の結果或は解釈が変はつたことで、最近では1185年であるとされてゐる。
これをして、「昔習つたことをころころ変へられたら困る」とこぼしてゐる人がゐた。
これもまた同様なのではないか。

教科書に書いてあることは、その時点での通説や研究の結果であり、不変ではない。
それは進歩著しくメディアでもよく取り上げられる理科系の科目だけの話ではない。
上にあげた例のやうに社会科だつて日々研究がつづけられてゐるわけだし、新たな発見もある。
国語だつて漢字の書き順が変はつたり、ある年齢までに覚える必要のある漢字の種類や数が変はることだつてありうる。
ましてやことばは時々刻々と変はつていく。

教科書に書いてあるから書いてあつたからといつて正しいとはいへない。

それは辞書もさうだ。
辞書は人の作つたものである。
人が作つたものなのだから、必ずどこかに間違ひのあるものだ。

多分、ここで大事なのは「信じない」といふことなのぢやあるまいか。
教科書を一通り読むのはいい。
理解して、記憶するのもいいだらう。
だが、信じてはいけない。
ほかの可能性、ほかの解釈、新たな発見、さうしたものがあるかもしれない。
さういふある意味オープンな状態が必要だ。
本庶教授の「教科書に書いてあることを信じない」といふ発言は、さういふことなのだと理解してゐる。

教科書は正しいと「信じた」ところで、思考は止まる。
それはイオン化傾向の実験でイヤといふほど経験した。
それなのに、やはり自分はなにか「権威」にすがらうとしてゐる。
「信じたい」と思つてしまふ。
信じるもののない状態はとても不安定だからだ。
その不安定な状況とどう折り合つていけるか。

なんともむつかしいことのやうに思へる。

Tuesday, 02 October 2018

タティング・シェルター

外出先ではタティングしてゐる。
極細毛糸を使つてゐて、モチーフをつないでスカーフにしやうと思つてゐる。
そのうち外ではできなくなる大きさになるんぢやないかと思ふが、まあ、そのときはそのときだ。

外出先でタティングをしてゐると、なんとなく落ち着いた心持ちになるときがある。
なんだらう。安心するのだらうか。
いま、自分は自分本来の姿に戻つてゐる。
そんな気分になるのである。

「戻つてゐる」といふからには、それまでは自分本来の姿ではなかつたといふことだらう。
外でタティングをするときはどういふ状態のときだらうか。
ここ最近でいへば、医者で順番を待つてゐるときだ。銀行や郵便局などでもある。

医者で順番を待つてゐるとき。
医者にはかなりあはてて行くことが多い。
早く行かないと待たされるからだ。
「十時半に予約してゐるのに八時から来てゐて「三時間も待たされた」と文句を云ふ患者がゐる」といふ。
むべなるかな。
十時半に予約して十時半に来院したところで、即診てもらへることはまれである。
予約せずに来た急患やその他のあれやこれやで決して予約した時間には診てもらへない。
それが病院である。
だとするならば、少しでも早く来て予約時間にできるかぎり近い時間に診てもらひたいと思ふのは人情だらう。

医者で順番待ちをしてゐるときといふのは、いつ自分の番が来るかわからない。
整理番号があつてほぼその順番で呼ばれるとしても気を抜いてはいけない。
どうしたことかいつまでたつても呼ばれないことばかりだからだ。
すなはち、医者で順番待ちをするといふことはいつ終はるか知れぬとても不安な状況におかれるといふことと同義である。

そんなときに、かばんからタティングシャトルを取り出してぼんやり自分のペースでタティングをする。
さうすると、ふしぎなことに満ち足りた気分になつてきたりするんだな、これが。
ただただひたすら待たされていつ呼ばれるとも知れぬ状態で、自分のやりたいやうにやりたいことをする。
自分を取り巻く空気が周囲から遮断されて、自分だけの世界に入つていく心地がする。
平穏。
そんな感じだらうか。

問題は、シャトルに巻いた糸がなくなりかけたときだ。
糸も持ち歩いてゐればいいが、かういふときに限つて持つてゐなかつたりする。
さう考へると、タティングよりあみものの方がいいのかなあと思はないでもないが、タティングよりあみものの方が話しかけられる率が高いんだよね。
ひとりにしておいてほしいのに。

ひとりにしておいてほしいのなら、本を読んでもいいのだが。
なんとはなし、シャトルをあやつり、糸に触れるのが心休まるやうな気がしてゐる。

Monday, 01 October 2018

ノールビンドニングとかボスニアンクロシェとか

ヨガソックスもぼちぼち編んではゐるが、なんとなくあれこれやりたくなつてしまふ秋である。
やりたくなるのはいいことで、といふのはここのところ風邪をひいて寝込んでゐたからだ。
九月最後の連休は熱を出してしまい、予定がすべて吹つ飛んでしまつた。
そのあひだ、なにもする気にならずにひたすら寝てゐた。
なにかしたくなる、といふのは、すこしではあるけれども、恢復を感じさせてくれる。

といふわけで、といふわけでもないが、ノールビンドニングの復習をしてみた。

ノールビンドニング

ノールビンドニングは、この前の冬にずい分とはまつた。
だが、なにせ作り目がわかりづらい。
わかりづらいといはうか、なかなか覚えられない。
去年はじめたときに最初の三日くらゐひたすら作り目ばかりやつてゐたおかげで、だいぶなれてはきたものの、作り目つてさうしよつ中するものぢやないからね。
そんなわけで、本を見ながら作り目をしてみて、実際にやつてみると案外覚えてゐるもので、ブロディエンスティッチをするところまではわりと楽に思ひ出すことができた。

ノールビンドニングではくつ下を作つてみたいと思つてゐる。
なにせノールビンドニングの編み地といふのは実にあたたかい。
本にはスリッポンの作り方も出てゐるので、それもいいなあと思つてゐる。
問題は、ノールビンドニングは糸を千切りつつつなぎつつ作るものなので、なかなか向いた毛糸が見つからないといふことだ。
フェルト化しやすい毛糸がいいといふのだが、いざとなるとなかなか見つからなかつたりしてねえ。
以前は東京のKITTEに毛糸屋があつて、そこでノールビンドニング向きの糸を買つたりしたのだが、その店も移転してしまつた。
糸をつなぐにはロシアン・ジョインを使つてみればいいかなといふ気もしてゐるが、さて。

ちなみに写真の針は十三年ほど前はじめて北欧に行つたをり、ストックホルムの北方民族博物館で求めたものだと思ふ。
なにかの角か骨かでできてゐるやうだ。
去年は四年前に行つたときにストックホルムのヘムスロイドで買つた木製の針を使つてゐた。
木製の針の方がやはらかい感触で使ひやすい気がするが、角だか骨だかの方は針の滑りがなめらかなところがいい。

一方で、ボスニアンクロシェにも手を出したりした。

ボスニアンクロシェ

ボスニアンクロシェ自体は、以前「毛糸だま」で見てやつたことがあつた。
針も持つてゐる。
この針はノールビンドニングの針と一緒に四年前求めたものだ。
つまり、四年感、買つてきてそのままになつてゐたといふわけだ。
角だか骨だかのノールビンドニングの針にいたつては十三年も眠つてゐたといふことになる。
陽の目を見る日がやつてきて、いやー、よかつたよかつた。

ボスニアンクロシェは「ボスニアンクロッシェのこもの 北欧のかわいい手編みテクニック」を見ながら編んでゐる。
本が出てくれるといふのはほんたうにありがたいもので、はじめるきつかけになるんだよね。
ノールビンドニングもさう。
去年「はじめてのノールビンドニング」といふ本が出たのでやる気になつた。
角だか骨だかの針を求めたときに写真のたくさん載つたノールビンドニングの本も一緒に買つてきたのだが、なにを云つてもスウェーデン語(だらう)で書いてある。ハードルが高い。

針、買つておいてよかつたなー。
しみじみさう思ふ。

ノールビンドニングは親指の太さでゲージが決まるが、ボスニアンクロシェは針のどの位置に糸をかけるからによつてくる。
糸をかける位置がまちまちだと編み目がそろはないといふことだ。
そこがむつかしいねえ。
本には編み目はゆるめの方がいいと書いてあるが、あまりにもゆるめになりすぎてしまひ、ちよつときつくなりすぎてきてゐる気がする。
かういふのも編んでいくうちに手が慣れていくのだらう。

ヨガソックスも仕上げないとなー。

9月の読書メーター

9月の読書メーター
読んだ本の数:7
読んだページ数:1823
ナイス数:20

Proust and the Squid: The Story and Science of the Reading BrainProust and the Squid: The Story and Science of the Reading Brain感想
前回読んだ本では、どんな言語でも使う脳の部位についての記述が多かったが、この本では言語によって異なる使用部位についての記述が多い。また前者ではソクラテスの読むことに対する不安に対しておなじ家族の中の文字を読める人と読めない人とを比較して反論するが、この本ではソクラテスの不安に好意的な見方をしている。同じように読書と脳とを研究してもいろいろと異なるのだなあ。おもしろい。
読了日:09月12日 著者:Maryanne Wolf
将棋の歴史 (平凡社新書)将棋の歴史 (平凡社新書)感想
市井の人々の話を知りたかったのだが、明治時代がはじまるまではそうした話題はほとんどない。資料もあまりないのかもしれないし、式亭三馬でも読んでおけ、ということなのだろうか。
読了日:09月14日 著者:増川宏一
なぜ柳家さん喬は柳家喬太郎の師匠なのか? (文芸書)なぜ柳家さん喬は柳家喬太郎の師匠なのか? (文芸書)感想
十三世片岡仁左衛門が「お客様は「吉田屋」の伊左衛門をと云ってくださるが自分は男として「馬盥」の光秀がやりたい」と云っていたという。客のわがままで見聞きすることなく終わるものも多いのかもしれない。
読了日:09月16日 著者:柳家さん喬,柳家喬太郎
地学ノススメ 「日本列島のいま」を知るために (ブルーバックス)地学ノススメ 「日本列島のいま」を知るために (ブルーバックス)感想
地学を学ぶことで地球全体をひとつの「システム」として理解するマクロな視点を得ることができるという。いまは分野が細かくわかれていて日々新しいことが発見される時代だと思っている。その現代にあってマクロな視点を持つことができるというのは結構大切なことなんじゃあるまいか。
読了日:09月20日 著者:鎌田 浩毅
本当はちがうんだ日記 (集英社文庫)本当はちがうんだ日記 (集英社文庫)感想
付箋が鈴なりになるほど共感する点が多いのだが、「でも総務課長でらしたんでしょう?」と思ってしまう。
読了日:09月25日 著者:穂村 弘
私の嫌いな10の人びと (新潮文庫)私の嫌いな10の人びと (新潮文庫)感想
著者はよく考える人のことは好きなのだろうか。と思ったが、考えてみたら「よく感じない人、よく考えない人」は嫌いだと書いてあるが、その逆は好き、とは書いていない。嫌いの反対は好きとは限らないか。
読了日:09月27日 著者:中島 義道
植草甚一コラージュ日記 東京1976 (平凡社ライブラリー)植草甚一コラージュ日記 東京1976 (平凡社ライブラリー)感想
一ヶ月の間に百八十五冊買い、そのうちいいものは三十冊くらいだろうと書いている。そういうものかもしれない。
書いてあることはどこに行ってなにを買ってなにを食べたか、なんの原稿をどれくらい書いたか、誰に会ったかくらいなのだが、なぜかおもしろい。いろんなペンを使っていることにも刺激を受けた。
読了日:09月30日 著者:植草 甚一

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