手帳を使ふわけ
手帳に求めるものとはなんだらうか。
巷にあふれる手帳を見るに、やはり社会的な成功だとか自己の目標達成の一助となつてほしい、と思つてゐるのかなあ。
予定がなんのために必要か、といふ話にもなるな。
これこれかういふことを実現するには、いつまでにこれをして、いつまでにはかうなつてゐて、しかるのちにああする、みたやうな予定をたてるには、確かに手帳があつた方がいいだらう。
以前よく書いたやうに、やつがれの手帳は基本的には予定よりも実際にしたことの方を書くものだつた。
記録のために手帳を使ふ。
あとで見返して「あのときはあそこにいつたのか」「このときはこんなことをしたのか」とふりかへるための手帳だつた。
もちろん、予定も管理はしてゐる。
バンドギャル略してバンギャと呼ばれる人々が、チケットの発売日やコンサートの予定、交通手段や宿の手配に特化したスケジュール帳を作つた、といふ話を聞いたことがある。
芝居を見に行く身としては気になるところだ。
チケットの前売日や観劇の予定、チケット代の貸し借りなどについては、もともと手帳につけてはゐた。
Bullet Journal を使ふやうになつてから、そのあたりのことはより管理しやすくなつた気がしてゐる。
Bullet Journal のいいところは、予実管理がしやすいことだ。
前日の夜または当日の朝、やることや予定を書き出す。
実行するたびにタスクの終了を記す。
実行できなかつたことは、後日にゆづつたりやめてしまつたりする。
Bullet Journal はそこのところとてもやりやすい。
そんなわけで Bullet Journal にして以来、日々のこまごまとしたタスクはかなりこなせるやうになつてきた。
その先に行けない、とは以前も書いたとほりだ。
なにか大きいプロジェクトを計画してそのとほりに実行していく、といふやうなことができずにゐる。
と、毎回書いてゐて一向にできずにゐるので、つまるところやる気がないのだらう。
ぢやあ手帳はなんのために使つてゐるのか?
とりあへず最低限社会に迷惑をかけないやう生きていくため、なのかな。
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