本を読むのをやめやうか
九月二度目の三連休と次の火曜日とはひたすら寝て過ごした。
熱が高かつたこともあり、目が疲れてしまつてスマートフォンはおろかTV画面さへ見るのがつらい。
それでも、布団の中で本を読むこともあつた。
穂村弘の「本当はちがうんだ日記」を読んでゐる途中だつた。
不思議とスマートフォンほど目は疲れず、それでも疲れるからなかなか先には進まない。
なぜ自分はこんな状態なのに本を読むのだらう、と、そのことが気になつた。
別に読まなくてもいいのに。
こどものころは「自分は本が読書が好きだ」と思つてゐたけれど、成人を迎へる前後でそれが単なる幻想にすぎないことに突然気がついた。
自分は本が好きなはずだつた。
多分、幼いころは好きだつたのだらう。
或はそれも思ひ込みだつたのかもしれない。
こどものころはひとりで本を読んでゐるよりも、外で友だち大勢と遊ぶことを求められた。
いまでも忘れないのは幼稚園のときのことだ。
父兄参観日で、外に出て遊ぶ時間があつた。
大多数のクラスメイトは鬼ごつこをしてゐたが、やつがれは三、四名くらゐで砂場で山など作つて遊んだ。
帰宅後、それを母にとがめられた。
なぜみんなに混ぢつて鬼ごつこに参加しなかつたのか、と。
砂場遊びはひとりでしてゐたわけではない。
MちやんやKちやんたちと一緒に遊んでゐた。
だが母にはそれさへ不満だつたのだらう。
なぜもつと大勢と一緒になにかしやうとしないのか。
さう責めるのである。
そんな状態だから、ひとりで本でも読んでゐやうものなら母の意にそまぬことこの上ないといふことになる。
それでも自分は本が好きなのだ。
さう思つてゐたんだがなあ。
気がついてみたら、別段本などたいして好きではないのだつた。
読書をするのは、ほかにこれといつた時間のつぶし方を思ひつかないせゐ。
見たいTV番組もなく、芝居や映画に行くのは気が引ける。出かけるのが好きではないからだ。
さうすると、本を読むくらゐしか、やることがない。
それだつて嫌ひだつたらしないので、それなりに好きなのだなとは思ふ。
でもなー、なんかこー、昔、自分はもつとちやんと本が好きだと思つてゐたはずなんだけどなあ。
床に伏せつて目が疲れるからTVも見られないと嘆いてゐて、それでも本を読むのは、読書が好きだからではない。
読んでゐないと不安だからだ。
なにかしてゐないと不安になる。
それで読むのぢやあるまいか。
いつそ、本を読むのをやめてみるか。
一ヶ月くらいためしてみたらどうだらう。
さう思ひつつも、気がつくと本を読んでゐる。
それは好きといふことなのでは?
そんな気もしないではない。
だが、心のどこかで「強迫観念なのではあるまいか」といふ声もする。
やはり一度、本からはなれてみるしかないか。
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