なんでもかんでも恋愛関係
以前、女の人がひとり旅をすると宿から宿泊を断られるといふ話があつた。
自殺しに来たと思はれるからだ、といふのがその理由だつた。
男の人のふたり旅は宿の人に「さういふ関係」だと思はれがちだといふ話もあつた。
「さういふ関係」といふのは、つまり互ひに愛し合つた仲だといふことだ。
時は流れて、女の人のひとり旅はよく見かけるものになつた。
宿泊を断られたといふ話も久しく耳にしない。
一方の男の人のふたり旅はどうだらう。
相変はらずの状況なんではないかと推測してゐる。
「セサミ・ストリート」の脚本家が同番組のレギュラー・マペットであるアーニーとバートとはゲイだと思ひながら書いてゐた、と云つたといふ。
それを受けて製作会社はアーニーとバートのふたりは「仲のよいともだち同士である」と発言したと聞いた。
アーニーとバートとは同居人だ。
オレンジ色で横長の顔をしたいたづら者のアーニーと黄色くて縦長の顔をしたきまぢめでどこか偏屈なバートとの関係がとてもおもしろい。
こどものころから見てゐるけれど、ふたりがさういふ関係だと思つたことは一度もない。
やつがれの「恋愛脳」とでも呼ぶべき脳の部位が未発達であるからだらうとは思ふ。
また、件の脚本家が番組に参加するやうになつたのは1984年のことだといふ。
それだとやつがれが一番「セサミ・ストリート」を見てゐた時期より後なので、それが原因でもあるのかな、とも思ふ。
それにしても、なぜ人はさうやつてなんでもかんでも恋愛関係にしたがるのかな、とは思ふ。
わづらはしいぢやん。
このあたりが「粗にして野だが腐ではない」所以なのかもしれないが、しかし、いはゆる「腐女子」と呼ばれる人々だつて、みづからの妄想の仲ではふたりをさういふ関係にしても、実際はまた別と考へてゐると考へてゐる人もゐると思ふんだよなあ。
よく「自分の好きなカップリングは原作通り!」などと豪語する人の話も聞くけれど、さうでない、「原作はまあ原作でああだけれど、自分の脳内ではかう」といふ人もゐるんぢやあるまいか。
さういふ人の方が多いんぢやあるまいか。
そんなことはないのかな。
いづれにしても、「必殺シリーズ」などを見てゐても「今回は恋愛ものだ」とわかつた時点で興味を失つてしまふ人間のいふことなので、単に自分がさういふの好きぢやないんだよ、といふだけのことなのだらうとは思ふのだが。
それにしてもアーニーとバート。
ないよなー。
これがグローバーだつたらなんとなくわかるのだ。
グローバーつてつねに愛されてゐないと不安なタイプのマペットだと思ふんだよね。
相棒が存在しないのであれこれ云はれないだけなのかもしれないが。
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