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Friday, 07 September 2018

疲れてゐては幸せにはなれない

生きる目的は幸せにはない、役に立つことにある。

でも結局は、役に立つといふことは幸せつてことなんぢやないの、と思つたりもする。

人はものを買ひ、他人とつきあひ、好きではないけれども給料のいい仕事につき、休みを取る。すべて、「さうすれば幸せになれる」と思ひながら。
リンク先の記事にはさう書いてある。
さうやつて、いつまでも幸せを追ひ求めつづけてゐる、といふのだ。

でも、それつて全部消費してるだけだよね、と記事はつづく。
消費するだけ、利用するだけの人生はつまらない。
人は役に立つこと、役に立つなにかを作ることで幸せな気分になる。幸せとは、役に立つことの副産物にすぎない。

なるほど、とは思ふわけだ。

生きていく目的を見失ひ、「なんのために生きてゐるのか」と日々疲れ、なにをしても楽しくないと思ふのは、世の中の役に立つやうなことをしてゐないからなのだらう。

しかし、ぢやあどうすれば役に立つことができるのか。

記事には、自分の職掌外のことで上司を手助けしたり、母親を温泉につれて行つたり、配偶者のためにコラージュを作つたり、人生について学んだことを記事に書いたり……とさまざまなことが書いてある。

これまた、なるほど、だ。
さうやつて世のため人のためになるやうなことをして生きてゐれば、満足感は得られるだらう。
自分のためではなく、他のために生きる。
利他的に生きる。それが最終的には幸せになるための生き方なのかもしれない。

いつもさうできれば問題がない。
たとへば、一週間働きづめで疲れてゐて、帰りの電車でやつと座れた。
そのとき、目の前に幼いお子さんをつれたお母さんがあらはれたら、どうする?
下車する駅までは45分はある。
一昨日他線の運転見合はせで超絶混雑する電車に乗つて帰つたときに腰を少々傷めてもゐる。
それでも相手に席を譲るだらうか。

記事には「役に立つ存在であることといふのは考へ方のひとつである」とある。
おそらく、考へるまでもないのだ。
目の前に自分より弱い立場の人がゐたら、手助けする。
なにも考へずにそれができるやうになつてはじめて役に立つことができるといへるのだらう。

でも無理なこともある。
つひ、「いまの自分には無理」と考へてしまふ。
さういふことがある。
睡眠不足だつたり疲れきつてゐたりするとどうしてもさうなつてしまふ。

つまり、疲れてゐては幸せにはなれない、生きる目的を追求することができない、といふことか。
まづはそこからなのか。

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