懐かしのミステリマガジン
久しぶりに「ミステリマガジン」を買ひに行つた。
「快盗戦隊ルパンレンジャーvs警察戦隊パトレンジャー(以下、「ルパパト」)」に関する記事が掲載されてゐると聞いたからだ。
最寄り駅近辺の本屋に勇んで行つて、しかし「ミステリマガジン」はおいてゐなかつた。
なぜか「バーフバリ」の文字が背表紙にある「ミステリマガジン」はあつたけれど、七月号とおぼしかつた。
やつがれの求めるのは今月号である十月号だ。
それが、ない。
ミステリマガジンの発売日は毎月二十五日だと思つたんだがな。
本屋の総合・文芸の雑誌の棚の前で右往左往しつつ、突如、なんとはなし懐かしい気分になつてゐた。
昔、こんなことがあつた。
小学生のころ、「ミステリマガジン」や「SFマガジン」を発売日に買ひに行つて、地元の本屋の棚には見つけられなかつた。
そのときの思ひ出が脳裡に蘇る。
毎月は買へなかつた。
当時、どちらも六百円とか六百五十円とかしたと思ふ。
うまいことお小遣ひを貯めることができたときに買ひに行つて、ところがどちらもなかなかないのだつた。
さういふときは折を見て駅に行く機会のあつたときに大きな書店(少なくとも当時のやつがれにとつては大きかつた)に立ち寄つて探す。
一軒目で見つかれば大成功。
大抵は二軒目、場合によつては三軒目でなんとか出会ふことができた。
「ミステリマガジン」も「SFマガジン」もほかの小説雑誌に比べて表紙の紙が上等で絵もすてきだつた。
どちらかといふと「ミステリマガジン」を買ひ求めることが多く、そこで植草甚一と山口雅也とを覚えたやうに思ふ。
青木雨彦はすこし前に連載を終へてゐたやうだつたが、時折名前が出てくるので名前だけ覚えて、後に本で読んだ。
なんで「ミステリマガジン」や「SFマガジン」を買ふやうになつたのかといふと、端的に云へば、背伸びがしたかつたからだ。
小学校の同級生といつて、ちよつとデキる子といふのは、上にやつぱりデキる兄・デキる姉のゐる子が多かつた。
さういふ子は兄・姉のお下がりである知識・情報をなんの苦もなく享受してゐた。
や、「享受」といふのではなかつたかもしれないが、デキる兄・デキる姉のゐなかつたやつがれにはとてもうらやましいものにうつつた。
さうした存在のゐないやつがれは、みづからあれこれ開拓するしかない。
そこで「ミステリマガジン」「SFマガジン」に飛びついたといふわけだ。
単なるポーズ、見栄つ張り、こけおどし。
さうしたもののひとつが早川書房の雑誌だつたわけだ。
なんだか泣けてくるなあ。
情けなくて。
そんなことしなくても、ほかにいいものはたくさんあつたらうに。
その証拠に、コラムを書いてゐた人はいくらも覚えてゐるし、内容も記憶にあるものもあるけれど、小説の方はほとんど記憶に残つてゐない。
そのうち雑誌をなかなか読み終はらずに文庫本ばかり読むやうになつて、雑誌とは自然と疎遠になつていつた。
出会ふ順番が逆だつたんだな、多分。
先に単行本で推理小説なりSF小説なりを十分読んでから雑誌に手を出した方がよかつた。
いまとなつてはあとのまつりである。
小説雑誌は、そのほかにも「野生時代」だとか「オール読物」だとか、おもにエンターテインメント味の強い雑誌を買つてゐた時期がある。「メフィスト」も買つてゐたつけか。
それもまつたく買はなくなつてしまつた。
それがいままた「ミステリマガジン」とはね。
おそるべし、ルパパト。
もしかしたらほかにもやつがれとおなじやうに「ルパパトかー。「ミステリマガジン」、買つてみるか」と思つて手に取つた人が多いのかもしれない。
それであの書店にはなかつたのかも。
早く見つけないと売り切れてしまふかもしれないぞ。
と、心ばかり急くのであつた。
« 樹がふたつ 希に林と森ひとつ | Main | 本を読むのをやめやうか »
Comments