三年に一度の六位の蔵人
Twitter をやつてゐると、何年かに一度つぶやくことばといふのがあつたりする。
やつがれの場合は「六位の蔵人」がそれだ。
見てみると三年に一度くらゐの割合でつぶやいてゐる。
三年前は、不調でもあつたのだらうか羽生結弦が六位発進のことがあつて、「でもステキ」とでもつぶやいてゐた人があつたのだらう、「六位の蔵人はステキですもんね」などと返信して不審がられてゐた。
このときの衣装が青だつたのだらうと思ふ。
それで、六位→青い服→蔵人、と連想したのだらう。
だからといつて、別段「六位の蔵人」に思ひ入れがあるわけではない。
なんとなく、「ああ、清少納言がステキつて云つてたなあ」くらゐの印象だ。
ステキ、といひながら、別のところでは「六位の蔵人なんてもう先がなささう」みたやうなことも書いてゐたやうに思ふのだが、そちらのことはとんと忘れてゐる。
「蔵人」単体になるともうちよつと頻繁につぶやいてゐて、それは多田蔵人がゐるからだ。
渋谷はヒカリエにある川本喜八郎人形ギャラリーに多田蔵人が登場することがあつて、そのたびにつぶやいてゐる。
多分、飯田市川本喜八郎人形美術館にはゐないんだよな。飯田で多田蔵人に会つたことはない気がする。
あと「ひらかな盛衰記」の「義賢最期」がかかつたりすると、やはり多田蔵人が出てくるのでつぶやくこともある。
ただ「義賢最期」がそんなにしよつ中かかる芝居ではないけれど。
多田蔵人はほかのときにもちよこちよこつぶやいてゐる。
たとへば、鵯越の逆落としを決行したのは源義経ではなく、多田行綱だつたのではないか、といふ話があつて、それについてつぶやいてゐたりとか。
多田蔵人といへばやつぱり鹿ヶ谷の陰謀だらうか。
鹿ヶ谷の陰謀に、多田蔵人も一枚かんでゐたけれど、なんだか怖くなつて源頼政に相談し、結局平家に陰謀のことを密告した、といふのがやつがれの記憶の中の多田蔵人だ。
なんか、ずるい。
こどものときはさう思つた。
この密告自体は史実ではなかつたといふ話もある。
なにがほんとかよくわからない。
でもまあ世の中といふのはなにもなにもほんとかどうかよくわからないものなのかもしれない。
ここにかうして書いてゐる「三年に一度、「六位の蔵人」についてつぶやいてゐる」といふのもほんたうだかどうか。
などとて、かう書くと、三年に一度「六位の蔵人」についてつぶやくことが達成されたりもするのだつた。
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