ドイリー: この立場なきもの
レース編みやタティングレースをしてゐると、どうしてもドイリーが増える。
ドイリーとはなにか。
辞書には花瓶などの下に用ゐる小さな敷物といふ旨のことが書いてある。
各家庭に黒電話があつたころは、電話の上にレース編みのカヴァが、下にレース編みのドイリーがあつたものだつた。
少なくとも我が家では母の編んだかぎ針編みのレースがかかつてゐて、敷いてあつた。
しかしいまはその黒電話がない。
固定電話さへなくなりつつある。
レース編みのドイリーは行き場がなくなつてしまつた。
ドイリーの使用方法としては、食器棚に皿をしまふときに傷を付けないやう皿と皿とのあひだにドイリーをはさむ、といふものもあるといふ。
それはいい案であると思ふ一方で、食器棚の中ではせつかく作つたものが見えなくなる。
それはそれでいいのかなあ。
見えないところにきれいなものを置いておくといふ美もないぢやない。
しかしドイリーには居場所がない。
少なくとも我が家にはない。
ドイリーなんぞを麗々しく飾れるやうな部屋がないからだ。
レースのドイリーを飾るならもつとあちこち片づける必要がある。
ドイリーは必要ない。
せめてコースターくらゐ小さいとか、テーブルセンターやテーブルクロスくらゐ大きければいいのだが、大きさも中途半端だ。
ドイリーは役に立たないといつてもいい。
それなのになぜ作つてしまふのか。
ドイリーを編んでゐると如何にもレース編みをしてゐるといふ満足感に浸れるからだ。
レース編みといつたらドイリーでせう、くらゐのいきほひである。
レース編みができるやうになると、まづ作りたくなるのがドイリーだ。
レース編みの本に掲載されてゐるものもドイリーが多い。
「レース編み=ドイリー」なのだ。
そんなわけで、久しぶりにタティングレースでドイリー作りをしてみやうと思つてゐるのだが。
なんとなく挫折しさうな気もしてゐる。
はたしてドイリー作りへの一歩を踏み出すか否か。
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