三国志とダメ人間
最近になつて三国志の好きな人々の集まる場に行くやうになり、いろいろ新たな発見をしてゐる。
たとへば、「魏が好き」「呉が好き」「蜀が好き」とおつしやる向きが多い、とか。
厳密に云ふと、三国志(とくに断らない限り「三国志演義」とそれを参考にしたもの)で魏・呉・蜀にわかれるのはだいぶあとのことであつて、「それつて、「曹操とその野郎ども」が好きつてことですよね?」とか「「劉備とその崇拝者たち」が好きなんですね?」と、脳内で読み替へてゐる。
呉だけは三国にわかれる前から「呉」と表記されることが多いのであまり違和感はない。
なんで「魏が好き」「呉が好き」「蜀が好き」といふ話に感銘を受けたのか、といふと、さう云はれて考へるに、自分にはさういふ「好き」が三国志の中にはないからだ。
とくに誰のところが好きといふのはない。
飯田市川本喜八郎人形美術館の展示を見るときは、曹操とその部下たちのケースが一番好きだなあ、と思ふことが多いが、それは人形とそのときの展示のやうすがいいのであつて、人形劇を見てゐたときに「曹操とその陣営が好きだなあ」と思つてゐたわけではないし、いまでもさうは思はない。
それでは自分はなにが好きなのか。
三国志を知つたときに、なにに心惹かれたのか。
思ひ返してみるに、それは、おそらく「野の遺賢」だ。
もつといふと、「隠者」といふものに憧れを抱いてしまつた。
主を求めず、草庵にあつて、他人とは会ひたいときに会ひ、さうでないときはひとりでぼんやりとしてゐる。
いいなあ、さういふ生活。
本来は「晴耕雨読の毎日」とやらを送るものなのかもしれないが、雨読はともかく晴耕が、ねえ。
といふあたり、どう考へても「ダメ人間」である。
クズ、と云つてもいいかもしれない。
しかしまあそんな生活を送れるわけもなく、ぢやあどうしてゐるのかといふと、さうだな、「中隠」といつたところかな。
勤め人であつて勤め人でなく、隠者であつて隠者でない。
ゆくゆくは隠れるとしても、身過ぎ世過ぎとしていまはちよつとだけ世に出てゐる。
Web検索をしてみたら、「中隠」の受け取りかたにもいろいろあつてちよつと驚いたが、やつがれの中では「どつちつかずでもあり、どちらでもある」みたやうなイメージである。
「中隠」を知つたのは、三国志を知つてからのち、白居易に出会つてからだ。
それまで白居易については「平安時代のお貴族さまが好きな感じの詩を作つた人」といふ印象しかなかつた。
詩を読んで、白居易のことを好きになつたかといふとさうでもないけれど、でもなぜ平安時代の貴族たちが白居易の詩を愛好したのかわかつたと思ふし(使つてる字がかんたんだからだよね、たぶん)、これはいいなといふ詩もあることを知つた。
「長恨歌」を読んでおいたからのちに「あれは「長恨歌」のあの一節を持つてきたものなのだな」とかわかつたこともある。
そんなわけで、日々中隠として暮らしてゐる……わけでもなくて、ときどき思ひ出したやうに「さうだ、自分は中隠だつたのだ」と暮らしを改める日々である。
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