編まない生活は続く
先週もこの三連休もまつたく編んでゐない。
編まなくても大丈夫なんだな、と思ふ。
あみものは好きだ。
と書いて、ほんたうだらうかと思つてしまふ。
実は自分はあみもののことなどたいして好きではないのかもしれない。
時々編んでゐてさう思ふ。
それではなぜ編むのか。
それは、数少ない自分にできることのひとつだからで、編んでゐるとなにがしかできあがるものがあるからだ。
えうはなにもしないでゐることができないんだらう。
なにかしら生産的なことをしたいのだ。
それなら部屋の片づけや掃除をすればいい。
なのにそれはできない。
といふわけで、なにかしら形に残るあみものに逃げるわけだ。
TVを見るといふのも自分にとつては生産的なことではない。
なので見ながら編みたい。
ところがTVを見なくなつてしまつたものだから編むきつかけがつかめなくなつてしまつた。
だからといつて見たいTV番組があるわけでもないしねえ。
なるほど、編まなくなつたのは、腱鞘炎のせゐもあるけれど、生活習慣が変はつてきてしまつたからといふ原因もあるんだな。
TVを見てゐるあひだに編んでゐたのに、そのTVを見なくなつてしまつたから編まなくなつた。
わかつてみればなんのことはない。
こののちもずつと編まないのだらうか。
腱鞘炎は、よくなつたやうなさうでもないやうなで、とりあへず拳を握ることはできない。
すこしは動かした方がよいといふ話もあるので、ちよつとあみものを再開してみるかなあ。
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