Bullet Journal: 復活の Tracker
今月から Bullet Journal に Tracker を復活させた。
Tracker とは、定期的にくり返し行ふと決めたことを書き出し、実際に行つたかどうかチェックするときに使ふものだ。
ラジオ体操の出席カードのやうなものと考へるといいかもしれない。
「Bullet Journal Tracker」でWeb検索をかけると例がたくさん出てくるのでご興味のある向きには是非。
Tracker は以前二ヶ月ほど試してみてやめてしまつた。
やる意味がわからなかつたからだ。
Tracker をつけやうがつけまいが、することはする。
たまに忘れてもまた翌日から開始する。
思ふに、かういふ人間には Tracker はあまり必要ないのではあるまいか。
「毎日つづけられてるなあ」と確認して悦に入る趣味もない。
やつがれはもともと、日々くり返し行ふことが苦手だつた。
小学生の時分は夏休みになると、毎日何時に起きて何時に寝て天気はどうでといふのを書き込む表をもらつてゐた。
毎日書いて、二学期になつたら提出する。
これが書けなかつた。
最初のうちはつけるのだが、いつしか忘れてしまふ。
泊まりがけで旅行に行つたりするともういけない。
旅先でつけられないのは仕方がないとして、帰宅してからもつけることをすつかり忘れてしまふのだつた。
ほかにも、親から「これをやれ」とか「あれをやれ」と云はれたことはひとつも続かない。
根気がないのだ。
さう思つてゐた。
ところが、十年ほど前のことだつたらうか。
自分で「あれを毎日やることにしやう」と決めたら、気がつくと結構つづいてゐる。
三ヶ月くらゐたつてもやつてゐる。
たまに忘れることもあるけれど、さういふときは気にしないでまた翌日から再開する。
自分にこんなことができるなんて。
我ながらちよつとびつくりした。
どうも、自分でやると決めたことはそれなりにできるのらしい。
根気はないがしつこいところもあるので、決めたら続けられることもあるのだらう。
かういふ人間には注意を喚起し、結果を確認するためのツールは必要ない。
Tracker 不要なのだ。
では今回なぜ改めて Tracker を採用したのかといふと、「ほんたうにできてるの?」といふのが疑問だつたからだ。
毎日のルーティンに入つてしまふと、やることが自然になる。
意識せずにするやうになる。
さうすると、実際にやつたのかそれともやつてゐないのか、記憶が曖昧になつてくる。
意識的にするやうにしたい。
それには Tracker だらう。
さう思つてはじめてみた。
ちなみに、自分で「これをやる」と決めたことで続けてゐてなんらかの役に立つてゐることはひとつもない。
もしかすると見えないところで効いてきてゐるのかもしれないが、見えないからわからない。
Tracker はそのうちまたやめるのではないかと思ふ所以である。
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