仕上げる気力
かぎ針で編んでゐたポーチはあと片方の持ち手をつけて糸端の始末をすればできあがるのだが。
そこでとまつてゐる。
仕上げをするときには気力が必要だ。
すくなくともやつがれはさうだ。
そしてその気力がいまはない。
「はじめることができたら五割はできたやうなもの」といふ話を聞く。
はじめるまでが大変だ、といふわけだ。
それもそのとほりかな、とは思ふ。
五月の連休にあはせて買つた糸にいまだ手をつけてゐないことを考へると、まさにはじめるまでが大変といふことだらう。
しかし、ことあみものに関しては、はじめるのはそれほど大変なことではないやうな気がしてゐる。
編みかけのまま放置してきたものがたくさんあるからだ。
最近ではさすがに編みかけで放置するものはほとんどない。
あつたとしても、冬のあひだ編んでゐて暑くなつてきたからやめた、みたやうなものばかりだ。
寒くなつてきたらまた手にして完成させてゐる。
「こんなものが編んでみたい」「手元に毛糸も針もある」「ぢやあちよつと編んでみるか」といふのが、あみものは容易な気がする。
問題は仕上げだ。
編み上げて形を整へて糸端を始末する。
これが如何に大事業であることか。
それまで編んできた手間とおなじくらゐの労力が必要な気がする。
百里の道は九十里をもつて半ばとせよ、といふやうなことばがあるが、そのとほりだと思ふ。
セーターなどでいふと、袖も編めたし、あと少しでできあがる、と思つて袖つけや脇のとじはぎに手をつけたが運の尽き、徹夜しても終はらなかつた、といふ過去もある。
それで、袖が編めたらその日はまづそれまでとして、翌日以降その後のことをするやうにしたほどだ。
今回作つてゐるのはポーチで、整形は必要ないと思つてゐる。
とにかく、編み上げて糸端の始末をするだけでいい。
それだけのことをする気力がわかない。
さうかうするうちに、市販のポーチでちやうどいいサイズのものを見つけてしまつた。
うーん、どうしたものかなあ。
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