健康によいこと
世の中で「これは心身の健康にいいよ」と云はれてゐることで試してみたことのないことがいくつかある。
ひとつは瞑想だ。
瞑想は、米国の西海岸あたりからやつてきたのではあるまいかといふ偏見がある。
キリスト教に足りないものを他の宗教からもつてきて、それをちよつとアレンジしてみました。
最近流行つてゐる瞑想にはさういふイメージがある。
瞑想と近いと思つてゐるものに座禅がある。
やつがれの理解では、姿勢を正して座り心の中(頭の中でもいいが)を無にするもの、だ。
無の境地に至ることが重要で、それ以外に目的らしいものはない。
しかるに瞑想といふものは、瞑想をすることによつてなにか得をしやうといふ心根が見え隠れする。
それがどうにも賤しいものに感じられてならない。
なにを気取つてゐるのだ。
だれだつてなにかをすることで別のなにかを得やうとしてゐるぢやあないか。
おまへだつて例外ぢやあない。
さういふ声も聞こえてくるが、瞑想をあさましい気持ちで行ふのがどうにもしつくり来ない。
やつてみてやめたこともある。
早寝早起きがそれだ。
一時は朝五時とか五時半とかに起きるやうにして、出勤までのあひだにそれまで夜してゐたことをしやうとしてゐた。
うまくいくかと思はれたが、いかなかつた。
歌舞伎座の夜の部やソワレに行つて帰つてくる前に就寝時間がやつてくるからだ。
早寝早起きをはじめる前に睡眠不足を解消できてゐればそれでも問題なかつたのかもしれない。
睡眠不足のまま早寝早起きをはじめたのがよくなかつた。
柔軟体操はしたりしなかつたりだ。
一度のばし過ぎて腿の裏を痛めてしまひ、柔軟体操どころか普段の立ち居にも困るやうになつてしまつて、それ以来なかなかつづかない。
ただ、酒飲みのともだちや一緒に京都散策などをするともだちと、「お互ひいつまでも元気でゐやうね」などと語りあつてゐる手前、柔軟体操はやめられない。
ある程度年を取つたら筋力よりも柔軟性だといふ話も聞くしね。
かうしてみると、まづ一番になんとかしなければならないのは睡眠不足の解消、最近の流行りことばでいふと睡眠負債の返済だらう。
これがなかなかうまくいかない。
これもここに以前書いたやうに、日々の生活の記録をとるやうにしてゐる。
朝何時に起きて何時に家を出て、何時に出勤して何時に退勤し、何時に帰宅して何時に夕食をとり、その後なにをしたかを時刻を記録しながら就寝をむかへる。
最近はスマートフォンのアプリケーションにさういふ記録を取ることのできるものがあるので、比較的簡単にできるやうになつてゐる。
この記録を見返してみると、もう切り詰めるところがどこにもない。
とくに先月から職場が移転して、さらに通勤時間がかかるやうになつてしまつた。
仕方がないので最近は湯舟につかるのは週に何回かにして、あとはシャワーで済ませてゐる。下手すると一週間ずつとシャワーだけのこともある。
あと削るとしたら夕食の時間、ともここに以前書いた。
夕食をとらないことにすると、食べる時間だけでなく支度や後かたづけにとられる時間も浮くからだ。
そして、食べてゐないので早めに布団に入ることもできる。
こんな状況では瞑想をしやうにも使へる時間がない。
そんな時間があつたら寝るよ。
といふわけで、目下の急務は睡眠不足の解消、と、もう何年も思つてゐる。
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