カリスマとシンドロームの違ひ
先日、TVドラマ「新・座頭市」で北村和夫の演じた僧侶について「カリスマ性」と書いて、「(といふことばもいまは安くなつてしまつたが)」とつづけてしまつた。
「カリスマ」といふのは超然としたもの、通常では得難いもの、さういふ資質を持つた人物に本来は使ふことばなのだと思つてゐる。
しかし、世の中には「カリスマ」が氾濫してゐる。
最近は云はないのかもしれないが、かつては「カリスマ店員」と呼ばれる存在がゐて、それも世にたつたひとりとかではなく、あちこちのお店にゐるのらしかつた。
「頭文字D」だつたか、「群馬のカリスマ」と呼ばれる人物がゐて、「つてことは、四十七都道府県全部にひとりづつカリスマがゐるつてことかい?」と思つたものだつた。
2700の「右肘左肘交互に見て」に出てくる「カリスマ」はよいとしても、この歌といふかコントといふかに「カリスマ」といふことばが出てくるのは「カリスマ店員」だとか四十七都道府県にひとりはゐるだらうカリスマの影響だらうと思ふ。
以前、中島梓が「シンドローム」だとか「症候群」といふことばをそんなに使つてくれるな、と嘆いてゐた話はここにも何度か書いてゐる。
何度も何度も使はれることでことばに手垢がつくから、といふことだつたと記憶する。
そのうちにことばの力も失はれていくのだらう、と個人的には思ふ。
「シンドローム(症候群)」は、病状につける名称なので、さう安くなつたり手垢がついたりはしないだらうとも思つてゐる。
十五年ほど前、SARSといふ呼吸器疾患が世界的に発生して大問題になつたことがある。
SARSとは Severe Accute Respiratory Syndromeの略で、重症急性呼吸器症候群と訳される。
「症候群」とは原因が明らかではない一連の症状につけられる名称であつて、さういふ症状が複数あり、世界的に大問題になつてあちらこちらで使用されることになつたからといつて、手垢がついたりことばの力を失ふやうなものではない。
そんなことを考へるのは、「カリスマ」はまた別なんだなあ、と思つたからだ。
「カリスマ」もまた、さういふ資質を持つ人物について使ふことばではある。
だけれども、あんまりあちこちで使はれてしまふと、「この人にはほんたうにカリスマ性がある」と思つたときに使ひづらいのだ。
かへつて失礼にあたるのぢやあるまいか。
さういふ気がしてしまふ。
さういへば、「大女優」とか「大物俳優」とかも使ひづらいことばになつてしまつた。
TVのワイドショーが「あの大物歌手が」とか「あの大女優が」などといふ煽り文句で番組の宣伝を打つものだから、「誰のことだらう」と思つて見てみたら、「え、この人が「大物」なの?」とか「え、この人が「大女優」なの?」といふことがくりかへしくりかへしあつたからだ。
そのうち「大」だけでは足りなくなつて「超」をつけてみたり、あれこれ手を尽くしてはゐるやうだが、一度インフレーションを起こしてしまふと、ことばといふものはデフレーションには向かはないものらしく、どうにもならない状況になつてゐると見てゐる。
「カリスマ」とおなじで「大女優」や「大物」もまた使へないことばになつてしまつた。
使へば相手に失礼なことになりさうだからだ。
「症候群」や「シンドローム」にはさういふことはない。
やつがれが知らないだけで、いまも原因不明の新たな症状に「なんとか症候群」だとか「かんとかシンドローム」と名前がついてゐることだらう。
中島梓はなにを心配してゐたのだらうか。
いまとなつてはわからない。
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