のほほん羽田空港
日曜日に二年ぶりに羽田空港に行つた。
なぜかその場の雰囲気がなんとものんびりしてゐることに気がついた。
あくせくしてゐる人などひとりもゐない。
みなゆつたりした足取りで歩いてゐる。
たまにすこし早足な人は、客室乗務員や地上勤務の職員とおぼしき制服を身につけてゐる。
ふしぎだ。
空港なんて「出発の十五分前までには保安検査場をお通りください」だとか「出発の十分前までには搭乗口までお越しください」だとか、とにかく行動が時間に縛られることばかりのはずだ。
新幹線なら発車のベルが鳴つてゐたつてまだドアが開いてゐれば飛び乗ることもできる。
飛行機はそれがきかない。
十分前だらうがなんだらうが、時間までに乗るといふことは一緒だが、精神的な負担は飛行機の方が圧倒的に重たい。
なのに、さういふ圧力をまるで感じなかつた。
午後の早い時間に離陸する予定の機に乗ることになつてゐたので、昼食を空港で済ませやう、それにはちよつと早めに行つておかう、といふので、出発の二時間以上前には空港についてゐた。
時間に余裕はある。
だが、このままこののほほんとした空気に浸つてゐたら、出発の時間までダラダラしてしまふのではあるまいか。
そんな不安を覚えるほど、世の中の空気は弛緩してゐた。
新幹線の駅だつたらあり得ないことだ。
とくに最近の東京駅や品川駅はひどすぎる。
東京駅なんて、かつてはターミナル駅の中では比較的乗り換へやすい、いい駅だつた。
渋谷駅や新宿駅は乗り換へでさへ使ひたくないと思つてゐたが、東京駅はそんなことはなかつた。
それがどうだらう。
いまの惨状。
乗り換へでさへ使ひたくないよ、東京駅なんて。
人がひしめいてゐて、それも大きな荷物をずるずる引きずりながら時にはスマートフォンを眺めつつ歩いてゐるやうな、さらには連れ全体がさういふ状態といふやうな、そんな人間がたむろしてゐる。
混沌とした地獄絵図をみたいならぜひ東京駅をおすすめする。
さうして、苛々するわけだ。
こちらが行きたい場所ははつきりしてゐるのに、目の前にゐるどこに行くのか目的意識を持つてゐないんぢやないかと思へるやうな有象無象のゐる中で、いつたい自分にどうしろといふのか、と。
どこに行くのか目的意識を持つてゐないやうに見受けられる、といふ点では羽田空港もそれほど変はらない。
もちろん、どちらの場合も最終的な目的地ははつきりしてゐるのだらう。
だが、そこに向かふのに、まづどこへ行けばいいのかわかつてゐる人は少ないやうに見受けられる。
空港でいへば、第一ターミナルに行けばいいのか第二ターミナルなのか、といふのがまづは問題だ。
第一は国際線で第二は国内線といふ大きなくくりはあるものの、第一を利用する国内線もある。
正しいターミナルについたとして、どの保安検査場を通過すればいいのか、といふ問題がある。
そして何番から出発するのか。
それをまづは確認しなければならない。
場合によつては出発する場所が途中で変更になる場合もある。
それにしては、みんなのんびりしてゐるんだよなあ。
日曜日の昼間だつたからだらうか。
東京駅や品川駅に比べて空間が広くゆつたりしてゐるからだらうか。
飛行機に乗らうなんて人はみんな時間に余裕を持つて空港にやつてくるからだらうか。
全部かな。
なぜかは知らず、とにかく精神的にとても安定した心持ちになつたのだつた。
こんなことは絶えてなかつたことだ。
だいたい、時間に縛られるのがダメ、とは、常々ここにも書いてゐるとほりである。
何時にどこに行くには何時の電車に乗つて、それには家を何時に出ねばならず、そのためには食事の支度は何時にはできてゐなければならないし、それには朝何時に起きなくてはならないから夜は何時までには寝なければ。
さう考へるだけでぐつたりしてしまふ。
それが、今回はほとんどなかつたんだなあ。
すくなくとも羽田空港では。
昼にはまだ早い時間だつたので空いてゐる店内でのんびりと昼食をとり、時間があるから書斎館をゆつくりと見てまはり、離着陸時に耳を守るための飴を忘れてきたことに気がついて飴を買へるやうなところを探して歩く。
そのあひだ、せかせかとした気分にはまつたくならなかつた。
いつもかうだといいのだがなあ。
それだと遠征ももつと気楽に行けるのだが。
来月は大阪松竹座に行く予定だ。
新幹線で行くつもりである。
このときのやうにのんびりと行けるといいのだが。
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