分不相応なものを買うたばかりに
最近は昼休みにはタティングレースではなくてマクラメといふ名の組み紐作りにいそしんでゐる。
逆かな。組み紐といふ名のマクラメ、かな。
いづれにしても、丸四つ畳を道具を使はずに手だけで作つてゐる。
時計の鎖にするつもりでゐたが、当の時計がダメになつてしまつた。
修理が必要だ、といふのである。
ものはMONDAINEのちいさな時計で、腕にもできるし首からも提げられるやうになつてゐるものだつた。もつぱら首から提げて使つてゐたが、あるとき紐が切れてしまひ、その後は自分で作つたタティングレースのチェインを使つてゐたが、それもほつれてきてしまつた。
で、鎖になるやうなものを作らうといふので作りつつ、時計の電池が切れてゐたので交換しにお店に行つたら、修理が必要ですね、といはれてしまつたのだつた。
MONDAINEの時計なんぞを買つたのがあやまりだつたかのう。
さうも思ふ。
いい時計はそれなりにメンテナンスにも気を配つて使ふものらしい。
それができない人間には使ふ資格がない。
さういふものだらう。
とりあへず、修理はおいてまづは見積もりをしてもらふことにした。
つまり、丸四つ畳の鎖は宙ぶらりんの状態になつてしまつたといふことだ。
できあがつても、提げる時計がないかもしれない、といふことだ。
お店の話によると、もうおなじ時計は作られてゐないのださうだ。
鎖は単体で使へるとは思ふ。
それともこれは練習と思つて仕上げるべきだらうか。
気に入つてゐる時計なので、いづれ修理はするやうな気もするが。
ちよつと作る気が萎えてゐるのだつた。
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