疾走感考
先月シアターコクーンで「切られの与三」を見た。
コクーン歌舞伎の中で見たものとしては、結構おもしろいと思つた。
第一幕こそ単なるダイジェストだなと思つたものの、第二幕のいはゆる「源氏店」で、掛軸の絵が抱一の寒牡丹を模したもののやうに見えて、そこからすつと芝居の世界に入つていけたやうに思ふ。
「抱一でございますね」などといふやりとりはいつさいなかつたけれど、ないのに抱一といふのが気に入つた。
もつともやつがれの見た狭い範囲でいふと、あの抱一の掛軸は芝居の中の季節よりは実際に上演されてゐる季節にふさはしい絵をかけるやうで、そこは違ふんだけど、まあ、細かいことはいい。
見てきた人の感想などを見ると、一様に「疾走感を感じた」といふやうな表現に出くはした。
劇評家の評の中にもあつた。
疾走感。
あつたつけか、「切られの与三」に。
感じなかつたなあ、不明にして。
どちらかといふと、struggling で crawling な印象を受けた。agonizing といふかさ。
疾走する agony といふものもあるのかもしれないが、どちらかといふと身を絞つて悶える感じかなあ、agony。
なぜさう感じたのか。
「切られの与三」の中で、与三郎は、あまり自分からどうかうしやうとはしない。
流されるままに木更津に行き、一目惚れの勢ひにまかせてお富といい仲になり、切り刻まれて元の暮らしに戻れなくなつたところを蝙蝠安に拾はれて、成り行き任せで押借強請を覚える。
なんか、かう、「自分からかうしやう」と思つてしたことがほとんどない。
これが「切られ与三」といはうか「与話情浮名横櫛」の与三郎だと、木更津に行くのは一応みづからの意思である。
こどものない家に養子としてもらはれて行つたら弟が生まれてしまつた。
親は実子に家をつがせたからう。
さう勝手に思ひなしての放蕩三昧、その末の木更津行きだつた。
そこが「切られの与三」の与三郎とは違ふ。
みづから思ふところもなくただ流されていく状況には疾走感を覚えなかつたんだよなあ、多分。
ただ流されるにしても、もつと急転直下の大波乱とかあれば、感じたかもしれない。
あのあと、いろいろ考へた。自分はどういふものに疾走感を感じるのか、と。
「マッハGoGoGo」の主題歌が最初に頭に浮かんだが、あれは曲想がさうなのであつて、あまり参考にならない気がした。
はたと気がついたのが、「早發白帝城」だ。
朝辞白帝彩雲間の「千里広陵一日還」なんて最高に疾走してゐる感じがするし、「軽舟已過万重山」といふのも軽快で速い。
千里広陵一日還
両岸猿声啼不住
軽舟已過万重山
辞すといつてゐるのだから、みづから白帝城をたつて広陵に向かつたのだらう。
舟をあやつつてゐるのは船頭だらうが、広陵に向かふのは自分の意思だと見受けられる。
あと「赤壁賦」の「短歌行」引用から「固一世之雄也」までのくだりにも疾走感を覚える。
壬戌の秋七月だつたはずの長江が、一気に建安十三年の冬に様変はりする。
蘇子と友とを乗せた舟だけだつたはずが、千里と連なる船団が江に浮かび、はためく旗が空を覆ふ。
それがほんの数十文字のうちに展開される。
その速さ。
ここにはそれほど登場人物の意思の力は感じない。
その一方で、流されてゐるといふ印象もない。
おそらく、自分にとつて疾走感とはみづからの意思を伴ふものなのだらう。
それで「切られの与三」には疾走感を覚えなかつたのだ。
だからといつて、「切られの与三」がつまらなかつたといふわけではない。
最初に書いたとほり、おもしろく見た。
ただ、見た人々の云ふ「疾走感」といふものがどこからやつてきたのかがわからない。
知りたいと思つても、もう見ることもかなはぬやうだ。
残念。
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