必殺無責任一代男
火曜日からTV神奈川で「新・必殺仕置人」の再放送がはじまつた。
「必殺仕置屋稼業」の最終回で護送中の市松(沖雅也)を逃がした中村主水(藤田まこと)は、「必殺仕業人」ではその咎で定廻り同心から牢屋見廻り同心に格下げになつてゐた。
#同じく牢屋見廻り同心の美川陽一郎がとてもすてきなのだがそれはまた別の話。
「新・必殺仕置人」の第一話では、主水が牢破りを未然に防いだことにより定廻りに戻されることになる。
「必殺仕業人」の最終回で仲間が無意味に死んでいくのを目の当たりにし、裏の稼業にも嫌気がさしてゐた主水は、本業に力を入れる気になる。
めでたしめでたし。
では物語にならない。
主水を定廻りに復帰させた与力・筑波重四郎(岸田森)は、ある理由から主水の存在を邪魔なものと思つてをり、仕置人に依頼して主水の命を取らうとしてゐた。
それを知つた主水は筑波と相対し、こんなセリフを口にする。
あたしは世の中といふものが、人間といふものが、一切信じられなくなりました。と。
あたしは今後徹頭徹尾手抜きでいきます。仕事なんか一切しやあしません。
うすぼんやりの、昼行灯で結構です。
昔はむやみやたらとこのセリフにあこがれ、主水さんイカす、と思つてゐたものだが。
実際に自分が仕事をするやうになると、徹頭徹尾手抜きでいくことのむつかしさをイヤといふほど思ひ知つた。
だからよけいに主水さんイカす、と思ふのだが、どんなにあこがれたところで所詮自分にはできさうにない。
昼行灯は昼間だから無用なのであつて夜になれば役に立つ、ともいふ。
つまり昼行灯になるには、役に立つ人間・仕事のできる人間でなければならない。
中村主水を見てゐると、クレイジー・キャッツの「無責任一代男」を思ひ出すことがある。
この歌の主人公は、まぢめに仕事などしやしない。が、上役に取り入るためにはごまをすり、ゴルフや小唄、碁などをたしなむことに余念がない。
小唄といふのが時代だが、上司に取り入らうと思つたら、ゴルフや碁などはそれなりにできるやうにならないとダメだらう。
相手を気持ちよく勝たせるやうになるには、相当の力が必要なんぢやあるまいか。
この男は、仕事はしないかもしれないが、仕事をしないための労力は惜しまない。
こどものころから調子よく、要領だけで世間を渡つてきたと歌にはあるけれど、それつて才能だよね。
仕事をせずにぼーつとするためにはそれなりの才能・努力が必要といふことだ。
おそらく「努力」とは思はずにやる人が職場でうすぼんやりとしてゐても許されるんだらうな。
その才能もないし、ゴルフや小唄・囲碁を学ぶことを努力と思つてしまふ人間は、昼行灯や無責任社員になどなれはしないのだ。
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