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Wednesday, 30 May 2018

わからないこともない「勘助住家」の段

四月の国立文楽劇場、五月の国立劇場と、文楽の「本朝廿四孝」がかかつてゐた。
文楽でも歌舞伎でも「本朝廿四孝」といふとよくかかるのが「十種香」とそれにつづく「奥庭狐火」の段だ。八重垣姫ね。
今回かかつたのは、俗に「筍掘」と呼ばれる「勘助住家」の段とその前段だつた。
今回襲名披露をした五代目吉田玉助の父・吉田玉幸が「勘助住家」の横蔵実ハ山本勘助をよくしたからといふのが理由のやうだ。

八重垣姫の話の方がよくかかるけれど、でもよく見てほしい。
外題は「本朝廿四孝」だ。
つまり、「二十四孝」がもとになつてゐる。
「二十四孝」といふのは、中国の話で、孝行ものの話を集めた本のことだ。
すなはち、勘助の話の方が主流といふことだと思ふのだ。

詞章にも出てくる「郭巨」といふのは「二十四孝」に名前の出てくる人物だ。
郭巨と妻とのあひだには幼い子供がゐて、郭巨の老母はこの孫をそれは可愛がつた。貧乏で日々の食事にも事欠くといふのに、老母は孫に食べるものを分け与へるのであつた。
それを見て郭巨は妻に云ふ。「こどもはまたできるかもしれない。でも母はほかに換へがきかない」と。
そこである日郭巨は自分の子どもをひそかに埋めに行く。
すると土の中から金の釜だか鍋だかが出てきて、「これは孝行ものの郭巨に与へるものだ。ほかの人間は盗つちやダメ」とか書かれてゐたのだつた。

なんとなく似てるでせう、自分の子どもを捨てに行く慈悲蔵に。

勘助の住家には黄庭堅の詩が襖に書かれてゐて、この黄庭堅も「二十四孝」の登場人物のひとりだ。

「本朝廿四孝」は文楽ではじめて通しで見た作品だつた。
このときは大詰めまでちやんとやつた。
わりと「奥庭狐火」の段で終はりになつたりするので、個人的には貴重な体験だつたと思つてゐる。
「奥庭狐火」の段で終はつた方がもりあがるから仕方がないんだけどね。
でも、大詰めまでやらないと犯人がわからないし、濡衣もちよつと浮かばれない。

犯人、と書いたが、「本朝廿四孝」の本筋は犯人探しである。
将軍が暗殺されて、未亡人が武田信玄と長尾謙信とに犯人を探させる、といふのが序段のあらすじだ。
三年のあひだに探し出せなかつたら、それぞれの嫡男の首を差し出せ、といふことにもなつてゐる。

だいたいね、信玄と謙信とで、犯人が探し出せると思ひますか?
ムリでせう。
仲が悪いもの。
序段を見た人は信玄と謙信とに任せたといふ時点で「あー、ムリムリ。犯人なんか見つかりつこないよ」と思ふといふ寸法だ。

そんなわけで、やつぱり犯人は見つからず、信玄の嫡子・勝頼はちやつちやと死んでしまふ。
これには裏があつて、実は信玄は勝頼が生まれるとすぐに花造りの簑作と入れ替へてしまつてゐて、死んだのは実ハ簑作だつたのだ。
といふのは「十種香」につながつていく話で、ここでは割愛する。

一方の謙信はそんなことはしてゐないものだから、嫡子・景勝は自分によく似た人物を捜し出して身代はりにしやうとしてゐる。
それが横蔵だ。

それとはまた別に、信玄も謙信も山本勘助といふ稀代の名軍師を麾下に迎へたいと思つてゐる。
それで信玄は高坂弾正を、謙信は越名弾正を、それとなく甲州の地に放つてゐたりもする。

横蔵は実は山本勘助の息子だつた。
父は今は亡く、母がその名をついでゐる。
横蔵には慈悲蔵といふ弟がゐて、これが実ハ直江兼続である。

はじめて見たときはびつくりしたねえ。
まだ「輝虎配膳」とか見たことがなかつたころだつたし。
「なんで山本勘助と直江兼続が兄弟なの!」と、これだけでこの話の趣向は十分だと思つた。
なんておもしろいことおもしろいことだらう。

慈悲蔵が親元に帰つてゐるのには理由があつて、将軍暗殺のときそばに居合はせながらなんの働きもなかつたからだ。
横蔵も実はそのときその場に居合はせて、将軍の一子・松寿丸の命を救ふため、さらつて逃げて自分の子として慈悲蔵夫婦に育てさせてゐる。

慈悲蔵が、みづから自分の子に手をかけるのは、子どもが敵方である信玄(この場では高坂弾正の妻・唐織)の手に渡つてしまつたら困るからだ。
自分は長尾家の武将なのだもの。

と、わかつてみれば「なーんだ、さういふことだつたのか」のオンパレードで、わからないことといふのはこの話にはそんなにない。
慈悲蔵がいい子ぶつてゐるのは三略の巻がほしいからだし、横蔵・慈悲蔵の母越路は邪険にしててもやつぱり慈悲蔵が可愛い。よくあることぢやん。

おまけに、横蔵は景勝の身代はりになんぞやつてやるもんかい、といふので自分の片目をつぶしてしまふ。
山本勘助が隻眼の理由はそれだつたのか!
よくぞ作つた!
あつぱれだ! 多分、近松半二!

それにしたつて荒唐無稽な部分も多い話ではあるが。
昔からかういふ話があるんだから、「戦国BASARA」にしても「なるほど、さういふ趣向できたか」などと思ふのだつた。

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