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Monday, 21 May 2018

理屈はどうでもよくて

先週は林ことみの「エストニアで習ったレース」に掲載されてゐるかぎ針編みの三角スカーフをちよこつと編んだくらゐだ。
そろそろ終はりが見えてきてゐて、さうなると段々と編む手がにぶる。
ちやつちやと編む場合もあるけれど、仕上げのことを考へ出すとどうしたらいいか考へてしまつて、なかなか先に進めないのだつた。

この三角スカーフはそんなにきつちり整形しなくてもそのまま使へるので、あんまし仕上げのことは考へなくてもいいんだけどね。

そんなわけで、先週危惧したやうなリカちやんサイズのものばかりがんがん編んでしまふのでは、といふことはなかつた。
エミー・グランデや金票40番の在庫があまりないから、といふことはあるかもしれない。

ところであみものをしてゐると、「買つた方がやすい」だとか「売られてゐるものの方が堅牢だ」だとか「編んだものは洗ふのがめんどくさくて」だとかいふ考へが脳裡をかけめぐることがある。

くつ下を編んでゐると「Walmartでは一足一ドルで売られてるわよ」と云はれる、といふ話は Socknitters から折に触れ聞く話だ。ほんたうにそんなことがあるのかどうかは知らないけれど。

そこら中で安価に売られてゐるやうなものをなぜ編むのか。

編みたいから。

それに尽きる。

時折「手編みのセーターは機械で編んだものよりずつとやはらかくあたたか(くて着やす)いし、さらには糸も手で紡いだもので編んだらさらにさう」みたやうな話を耳にする。
手で作つたものが機械で大量生産されるものよりも尊い。
さういふことは確かにあるとは思ふ。

編んだものはほどくのが容易だからリサイクルにも向いてゐる。
それも確かにさう。

でも、だから手編みをするのだ、といふ人がどれくらゐゐるのか不明だ。

もちろん、手編みをする理由のひとつとして、さういふことをあげることもあらうとは思ふ。
でも、さういふのは、なんかこー、副産物といふかさ、二次的な理由なんぢやないのかなあ。

楽しいから編む。
好きだから編む。

さうなんぢやないの?
それに一々ほかの理由をつけなければいけないやうな世の中なのかもしれないけどさ。

ちなみに、最近はめつきりしなくなつてしまつたが、自分で紡いだ糸で編んだこともあるけれど、手入れが大変なのがちよつとなー、と思ふ。
市販の糸の方が洗濯に耐へる気がする。
毛の状態でスーパーウォッシュのものもあると聞くけど、さういふ毛で紡いだらいいのかなあ。

くつ下に関して云ふと、くつ下用毛糸で編んだものはかなり堅牢で、洗濯機でがんがん洗つても数年は使へる。
以前ここにも書いたやうに、手で編んだものは履き口をゆるめに編んだりそれでゐて脱げないやうにしたりが可能なので、さういふ点では市販のくつ下にまさつてゐると思つてゐる。
だから編むわけぢやないけどね。

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