ひとり飲み考
一昨日、学校に通つてゐた時分の友人と会つてお酒を飲んだ。
さんざん飲んで喋つて別れた。
外で酒を飲むことにはかういふ効用もある。
すなはち他人との交流だ。
その一方で、以前から憧れてゐる飲み方がある。
ある日、帰宅途中の車窓から、居酒屋のカウンター席に座りひとりで飲んでゐる人の後ろ姿を見かけた。
かたはらにとつくりなどを置き、その人は文庫本を読んでゐた。
いいなあ。やつてみたい。
そのときさう思つた。
やつてみることもある。
飯田に行くと夕食はお酒を出すお店でとることになりがちだ。
ゆゑに本を携へて行つて、読みながら飲む。いや、飲みながら読む。
問題は、居酒屋といふところは照明が暗いことが多い、といふことか。
本を読むといふ前提がないからだらう。あたりまへのことかもしれないが。
世間的には「外にお酒を飲みに行く=他人との交流をはかる」なのらしい。
「新宿そだち」といふ歌がある。
奇数番は男声、偶数番は女声で、それぞれ「女なんて」「男なんて」と歌ひつつ、やはり相手がゐないとね、みたやうな歌だ。
一番では「女なんて嫌ひだけど、ひとりで飲む酒はまづい、ぢやあいつもの子を指名しやうかな」と歌ふ。
指名しやうといふことは、相手はそれを商売にしてゐる人だらう。
プロなのだから、おそらく客であるこちらをいい気持ちになるやうもてなしてくれるはずだ。
つまり、相手にかまはれる、といふことにほかならない。
いやー、なんていふか、はふつておいてほしいんだけどなー、やつがれ的には。
もつとそのものズバリ「悲しい酒」といふ歌もある。
ひとりで飲む酒はまづいだらうか?
ひとりで食べる食事はおいしくない?
さう思つたことがない。
ひとりで飲んでもうまい酒はうまいし、おいしい食べ物はおいしい。
これも以前何度か書いたことに北村薫の小説に出て来る逸話がある。
主人公は、おいしいお菓子を食べるときには本があるとうれしい、といふやうなことを云ふ。
小説ではいただきものの缶入りの洋菓子だつたやうに記憶する。
おいしいお菓子はただ食べるのはもつたいない。
本と一緒に、できればおもしろい本と一緒に賞味したい。
他人との交流といふことでいへば、本を読むことも他人との交流だらう。
山本夏彦的にいへばさういふことになる。
小説であれば登場人物たちと、さうでなくても著者と交流する。
だつたらなにも外で飲む必要はなくて、ひとりで家で飲めばいいぢやあないか。
結局さういふことになる。
酒はともかく家で用意する肴がおいしいかどうかといふ問題もないではないが。
そんなわけで今日もたのしくひとり酒だ。
いや、僭越ながら司馬子長と飲むことにするかな。
でも美空ひばりの歌を聞いてゐると思はないこともない。
ひとりで飲む酒を悲しいと思へるほどの人生経験を積んでゐないだけなのではないか、などと。
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