フライパンと過去に遡る旅
今朝、これまで遣つてきたフライパンを廃棄した。
気分的には「フライパンと別れた」といふ気持ちだ。
周囲に人がゐなかつたら「さよなら」のひとことも口にしたかもしれない。
家でさんざん吠えたでないか、といふ話もあるが、「いままでありがたう」ともう一度フライパンに告げたかもしれない。
長いこと遣つてきた道具とは別れづらい。
それで部屋の中が片づかないのではとも思ふが、それはまた別の話。
このフライパンは、家族と一緒に買ひに行ったものだ。
あるホームセンターに車でつれて行つてもらつた。
その前に遣つてゐたフライパンは安物で、すぐだめになつてしまつた。
それですこしだけ値の張るフライパンを買ふことにした。
実際に遣つてみると、これが実に遣ひやすい。
しかも洗ふのも楽だつた。
「やつぱり値段だけのことはあるね」といふ旨のことを口にしたら「さうだらう」とまるで自分の手柄ででもあるかのやうな返事が返つてきたことを覚えてゐる。
あれから多分十年近くたつ。
購入したばかりのころはあんなに遣ひやすかつたフライパンも、いまではかなり油を引かないとすぐに焦げ付くやうになつてゐた。
フッ素加工もはげてきてゐて、あまり遣つてゐてよいやうな状態ではない。
それでも遣ひつづけてゐたのは、買つてきたときの思ひ出があるからだ。
あまりにも思ひ切れないので、せめておなじホームセンターで新しいフライパンを買はうと思つてゐたところ、そのホームセンターは閉店して久しいと聞かされた。
結局新しいフライパンはクレジットカードのポイントと交換して手に入れた。
驚くほど遣ひやすいフライパンだ。
やつがれ程度の腕前でもきれいなたまご焼きがかんたんにできる。
それまで遣つてきたフライパンを買つてきた当時のやうに。
かうして道具に対して執着しがちなくせに、ものを大事にしない。
フライパンも、大事に遣つてゐればもつともつたのかもしれない。
この矛盾した性格をどうしたものだらう。
ものに対して執着しがちな性格は、やたらと書きたがる性格と結びついてゐる。
さう思つたのは、Why You Should Write Things Down: Experience and Information といふ記事を読んだからだ。
この記事ではなにかを書き留めることは、そのときの思考過程を残すことだ、といふ。
読み返すと書いた時点でなにをどう考へてゐたのかを思ひ出す、そしてそこからなにかを生み出すことができる、といふ。
時間旅行をするやうに。
道具もおなじで、長いこと一緒に過ごしてきた道具を見ると過去に戻ることができる。
はじめて店頭で見つけたときのこと、はじめて遣つたときのこと、最初はうまく遣ひこなせなかつたこと、はじめて作つたもののこと。
さまざまなことを思ひ出す。
捨ててしまつたら、もう過去に戻ることはできない。
まつたくできないことはないけれど、これほど鮮明な記憶は蘇つてはこないだらう。
さう思ふと、遣へなくなつたものでもなかなか捨てられない。
それまでぞんざいに扱つてきたくせに、いざとなるとふんぎりがつかない。
どうしたら捨てられるのだらう。
写真を撮るといいと聞いたので、一時は捨てる前に写真を撮るやうにしてゐた。
だが、写真では触覚を得ることはできない。
匂ひもしない。
このフライパンの持つたときのこの重さ、ぼろぼろになりはじめてゐる取つ手の先、さうしたものは写真ではよくわからない。
いづれにせよ、これまでフライパンを捨てられなかつた云ひわけにしかならない。
そして捨てられないのはフライパンだけではないのだつた。
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