長命ななんでも帳
十一月の末から、LEUCHTTRUM1917 のポケットサイズを使つてゐる。
自分では「なんでも帳」と呼んでゐて、だいたい一ページ一内容でそのとき頭に思ひ浮かんだことをばーつと書き出すといふ使ひ方をしてゐる。
これまでなんでも帳はだいたい二ヶ月から三ヶ月で一冊使ひ切るやうなペースで書いてきた。
六ヶ月といふのはかなり長い。もしかするとなんでも帳を書き始めて一番長いかもしれない。
LEUCHTTRUM1917 が悪いわけではない。
これまでなんでも帳には Moleskine のポケットサイズや Smythson の Panama といつた通帳サイズの手帳を愛用してきた。
文庫本サイズのものも何度か使つてみたけれど、一番しつくりくるのが通帳サイズだ。
いま使つてゐるLEUCHTTRUM1917 は Moleskine よりちよつと大きいくらゐで、使ひやすいサイズであることに間違ひはない。
紙質も気に入つてゐる。なにしろ手持ちの万年筆で書いても裏抜けしない。
Moleskine を使つてゐたころは休めがちだつたペンもどんどん使へてゐる。
使ひやすいサイズだからどこにでも持ち歩く。
持ち歩かないことがないくらゐの勢ひだ。
それでゐて書けてゐない。
ここ三年ばかり、スケジュール帳はシステム手帳のバイブルサイズで Bullet Journal にしてゐて、さらに去年の十一月から5×3カードでPoICをはじめたことで、なんでも帳に書くことが減つてゐるのかもしれない、とは思ふ。
書く内容は違ふんだけれどもね。
Bullet Journal のメモと5×3カードに書くこととはかなりかぶつてゐて、そのとき手元にある方に書いてしまふこともある。
なんでも帳には Bullet Journal のメモや5×3カードに書いたことからふくらませた内容であることが多い。
メモをふくらませる時間がない、といふことはあるかな。
システム手帳のバイブルサイズはチトかさばるので、芝居見物のときには持つて行かないことも多い。
実際、芝居見物のときは幕間くらゐにしか書く時間がとれない。その幕間も忙しいことがある。
ゆゑに芝居見物の日は「今日は書く時間がとれさうにないなあ」と思ひつつも、なんでも帳だけはかばんに入れる。
なんか、それでいいのかな、といふ気がする。
手帳は持ち歩くことに意義がある。
どこにでも持参することに意義がある。
書き込むことは二の次だ。
書きたいと思つたときに書けることが重要で、実際にどれだけ書いたかは問題ではないのかも。
その LEUCHTTRUM1917もそろそろ使ひ切りさうだ。
次のなんでも帳はひさしぶりに Smythson の Panama にしてみやうかと思つてゐる。
ここのところなんでも帳には Moleskine がつづいてゐた。
そこに LEUCHTTRUM1917 をはさんでみたので、次はまた Moleskine、といふことも考へないでもないのだが、最後に Panama を使つてからずいぶんたつからなあ。
かうして次の手帳について考へるのもまた楽しい。
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