大事なことは描かない
月曜日にラピュタ阿佐ヶ谷で岡本喜八の「斬る」を見てきた。
山本周五郎の原作を映画にしたものだ。
天保の世、上州のさる藩で城代家老が暗殺される。
実行犯は藩の若人八人。
首謀者は藩の重役(神山繁)である。
若人たちはその重役からの命で城代を襲ふ。藩をよりよくしやうといふ志にあふれたものたちだ。
だが、重役は腹黒かつた。
邪魔な城代を殺して自分が藩の実権を握らうとしてゐた。
浪人を募つて若人たちを殺させ、その浪人たちは藩のものを殺したといふことで皆殺しにする、そのすべてを隠密裏にやつてしまはうと考へてゐた。
主人公はそんな藩に足を踏み入れてしまつた元・侍の渡世人(仲代達矢)と浪士組に入つて侍にならうとする元・農民(高橋悦史)なのだが、主人公の話はしない。
重役の計画はかうだ。
山の上の孤立した砦に若人たちを拠らしめる。
そこに浪士組を送り込んで若人たちを斬り殺させる。
そして若人たちも浪士組も、藩のものを集めて作つた鉄砲隊・弓矢隊で遠くから全滅させる。
この遠隔攻撃隊の二番手に島田(天本英世)といふ男がゐる。
島田にはセリフらしいセリフがない。
重役に集められたときも、もの思はしげな表情をするばかりだ。
これからやらうとすることに疑義を抱いてゐることは明らかだが、なぜかはわからない。
でも状況からなんとなくわかる。
おそらく島田は若人たちに sympathy を抱いてゐるのだ。
だが云へない。
こんなことはやめませう、だとか。
自分はこんなことはしたくない、だとか。
みんな、やめやう、だとか。
さういふことは一切口にしない。
主人公の為したことによつて浪士隊を疑ふ遠隔攻撃隊の一番手は、数名とともに浪士隊に抗議をしに行き、殺されてしまふ。
砦にたてこもつた若人たちの首領格(中村敦夫)は云ふ。
「島田ならわかつてくれるはずだ」と。
首領格の若人は島田に向かつて叫ぶ。
こだまとなつたその若人の声を聞いて、島田は立ち尽くす。
周囲には手に手に銃や弓矢を握つた侍がゐる。
苦悩する島田の顔が大写しになり、その後ろ姿が映つたところで場面は切り替はる。
島田がなにを云つたのか、どう行動したのかは、一切描かれない。
描かれないけれど、わかるやうになつてゐる。
岡本喜八の映画はそんなに好きなわけではない。
映像といひ音といひ、騒がしすぎるからだ。
「斬る」にも祭や女郎屋での大騒ぎが挿入されてゐる。
画面狭しと人々が暴れまはり、騒々しく歌ひわめき、めまぐるしくカメラが切り替はる。
Too much なのだ。
なんだけれども、だいたい一作品につき一度は「描かない」場面が出て来る。
「激動の昭和史 沖縄決戦」でいへば対馬号の撃沈だらうか。
「着流し奉行」だと主人公と悪の黒幕との対決場面。まあこれは原作自体もさういふ描き方でもあるが。
そして「斬る」はこの島田の場面。
いづれも重要な場面だと思ふ。
「かうなりました」と描かれることを見る方はそれとなく期待してゐる。
だがさういふ場面はばつさり切り捨てられてしまふ。
ゆゑに印象に残る。
これが見たくて岡本喜八の映画を見るといつても過言ではない。
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