読書考
本を読めと人はいふ。
とくに昨今、スマートフォンばかり見てゐないで、本を読みなさい、と勧められる。
本を読むとなにがいいのか。
生きてゐるだけでは体験できないことを擬似的に体験できるのがいい、といふ話がある。
そこから敷衍して、他人の気持ちがわかるやうになるとか、視野が広がるといふ説もある。
ところで、本を読むといふ習慣が広まつたのはいつごろのことだらう。
江戸時代になると貸本業とかあつたやうだから、それなりに本を読む人もゐたのだらうか。
それは人の集まるところだけの話で、鄙の地ではさうでもなかつたのかな。
いづれにしても、本を読むといふ習慣はせいぜいここ二百年ばかりのあひだに広まつたものなのではないかと推測する。
広まつたばかりのころは、ほかにこれといつた娯楽もなくて、本を読むといふのは楽しいことだつたのではないか、とも思ふ。
「あまり本など読むものではない」と昔は云はれた、といふ話も聞く。ほんとかどうかはわからないけれど。
それでは、本を読む習慣がなかつたころの人はどうしてゐたのだらうか。
読まうにも、本が手に入らない、入つても字が読めない、そもそも本といふ存在を知らない、そんな人がたくさんゐた時代は、どんな状況だつたのだらうか。
人は、他人の体験を知ることもなく、相手の気持ちを思ひやつたり視野を広げたりすることもできなかつたのだらうか。
視野は広げられなかつたかもしれない。
でも、おそらくそれで困ることはなかつたらう。
おなじことは新聞にもいへて、いまの人は新聞を読め新聞を読めといふけれど、ぢやあ新聞のない時代はどうだつたのか、とも思ふ。
時代が変はつたから読まねばならぬのだらうか。
新聞のない時代の人々は読むことはできなかつた。だからといつていまの時代の人間より劣つてゐたといへるだらうか。
本にしても新聞にしても、読め、といふ根拠が曖昧な気がしてゐる。
ほんとに読んだ方がいいの?
読んでゐない人よりも読んでゐる人の方がいいことつて何?
スマートフォンといふこれまでなかつた技術に対して嫌悪感を抱く人が云つてゐるんぢやないの?
その証拠に昔は「TVばかり見てゐないで本を読みなさい」といつてゐたはずだ。
さう思ふのは、本を読むといふことは個人的なことだと感じてゐるからだらう。
どんな本をどう読まうが、読まうが読むまいが、そんなの個人の好き嫌ひの問題だ。
他人に押しつけられるものぢやあない。
読みたいときに読みたいものを読みたいやうに読めばいい。
といふか、さうさせてくれよ。
切実にさう思ふ。
だいたい、ほんたうに読ませたいのなら、「本なんて読んぢやいけませんよ」と禁じた方がよほど効果的なのぢやあるまいか。
「ここにはねえ、いけないことがいろいろ書いてあるんですよ」「あ、ダメ、それ以上読んぢやいけませんつて」とあふれば、人は読むのぢやないだらうか。
それともこの手法はこどもだましに過ぎないか。
« 体力不足 | Main | 長命ななんでも帳 »
« 体力不足 | Main | 長命ななんでも帳 »
Comments