好みの店のパラドクス
今年も五月の連休はおとなしくしてゐるつもりだ。
などと云ひつつ、ちよつと遠出をしてみたいと思ふのも人情で、しかし、いまからだともう宿が取れない。
取れてもお高くてどうにもならない。
この機会に敢て普段は止まることのできないやうな宿に泊まつてみるといふのも手かもしれないな、とは思ふ。
だが、道路が混んでゐるだらうし、電車の乗車券も手に入りづらさうだ。
さうやつて云ひ訳ばかりして、結局出かけないのだらう。
連休中は人も多さうだしなあ。
空いてゐるといいなあと思ふ。
気に入る飲食店はほぼさうだ。
いつ行つてもそんなに混んでをらず、のんびりと食事を楽しめる、そんな店を好む傾向にある。
味は二の次、と行きたいところだが、さういふ店は大抵味の方も好みに合つたりする。
ところが、ある日行つてみると閉店したといふ張り紙に出くはす。
さうか、あれではお客さんが足りなかつたのだな、とそのときになつて思ふ。
かういふ目にあはないやう、気に入つた店にはせつせと通ふやうにしてゐるが、こちらにも都合といふものがある。
さう毎度毎度行けるものでもない。
さうして久しぶりに行くと違ふ店になつてゐて、ひどく込み合つてゐたりするのだ。
人が少ない方がいいのに、人が少ないと廃れてしまふ。
さみしいがほんたうのことである。
今朝、NHKのニュースで純喫茶を特集してゐた。
あれを見たうちの何人かは純喫茶に行つてみやうと思ふだらう。
純喫茶はさういふ客によつて活力を得るのかもしれない。
得た活力で営業を続けられるやうになることもあらう。
それはいいことなのだと思ふ。
TVを見て来たからといつて、うはついた客ばかりとは限らない。
ちやんと個々の店の雰囲気を尊重する人もあらう。
それでお気に入りの店が存続の危機をまぬがれるのなら、古参の客にとつてもいいことのはずだ。
と、理屈ではわかつてゐても、ちよつと客のまばらでぼんやり落ち着ける店がいいなあと思つてしまふんだよなあ。
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