流れの途切れ
レース編みのスカーフをちまちまと編んでゐる。
ものは「風工房の小さなクロッシェレース」に掲載されてゐる、方眼編みの本体に葉つぱのモチーフをつなげたスカーフだ。
こんな洒落たものを使ふのか、といふ問ひはさておき、編みたいのだから仕方がない。
編みたいとはいつても、この編み方、ちよつと我慢を強いるところがある。
先週も書いたとほり、前の段につなぐときに一度目から針をはづして前段の目に針をとほし、しかるのちにいまの段の目に針を入れる必要があるからだ。
これが場所によつて九目または六目ごとにおとづれる。
針をはづすたびにそこで一旦流れが途切れる。
この途切れた流れにどう対処するか。
そこにこのスカーフを完成させられるかどうかの鍵がある気がする。
「流れなんか途切れて当たり前」といふ人もあるだらう。
モチーフ編みや編み込み模様を好む人はさうかもしれない。
モチーフ編みはモチーフをひとつ編むごとに流れが途切れるし、編み込み模様は段ごとに糸を変へるときに流れが途切れる。
やつがれのやうに、ただひたすら延々と編むのを好むものとは、おのづから「流れの途切れ」に対する意識が違ふのだと思ふ。
考へてみれば、くつ下を編むのが好きなのは、ほとんど流れが途切れることがないからだ。
編み込み模様やバスケット編みなど特殊な場合をのぞいて、くつ下を編んでゐて流れが途切れると思ふことはほとんどない。
一本の糸をただひたすら編んでいく。
かかとやつま先はもう「さういふもの」と思つてゐるので途切れのうちには入らない。
糸端の始末に至つて、やつと「途切れたな」と思ふ。
ベルント・ケストラーのミトンもさうだ。
いまのところ、レース編みのスカーフは順調に編めてゐる。
針をはづすことが当たり前になつてきたのかもしれない。
まだ本体部分さへ半分も編めてゐないけれど、この調子なら完成するのではないかな。
といふか、完成させたいものである。
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