片づけられない片づかない
部屋が片づかない。
片づける能力がないといふのがひとつ。
もうひとつは、「片づけてゐる暇があつたらほかにしたいことがある」だ。
ほかにしたいことをするにも、片づけてからした方がはかどるし、気分もいいだらう。
さうは思ふができない。
歌の文句にあるぢやないか。
「明日ありと思ふ心の徒桜夜半に嵐の吹かぬものかは」つて。
片づけて、きもちよくなつてから好きなことをしやう。
さう思つても、明日はもう来ないかもしれない。
この世の最後にしたことが片づけになるやもしれぬ。
それよりもしたいことをしやうや。
云ひ訳である。
といふわけで、この連休にはちよつと片づけをしやうと思つてゐる。
まあ、すこし長い休みのときは毎回さう思ふんだけれどもね。
毎回ちよつと片づけをして、すぐ息切れしてしまつて、つづかない。
捨てるものや取つておくものが床に散乱し、収拾がつかなくなる。これを片づけないことにはなにもできない。
そして、懲りてしまふのである。
「もうしばらく片づけなんぞはしたくない」
さう思つてしまふ。
片づかないのは、ものを捨てないからだ。
これが一番大きな理由かと思ふ。
最近は日によつて捨てられるゴミがわかれてゐて、それによつてゴミの分別が迫られる。
これは可燃ゴミ、これは不可燃ゴミ、これはリサイクルごみ、と、わけておいておくと、あつといふ間に床の上が混沌としてくる。
そのうちどこまでが可燃ゴミでどこまでがリサイクルごみなのかわからなくなつてきてしまふ。
これをふせがうと、手にゴミ袋を持つて片づけをするのだが、やはりうまくいかない。
ゴミ袋がすぐいつぱいになつてしまふからだ。
やはり箱を用意する方がいいのかなあ。
とりあへずとつておくもの用と捨てるもの用とふたつ箱があればいいだらうか。
それにかたつぱしからものを入れていつて、あとで選別する。
それでいいやうな気もする。
なぜ箱をいままで用ゐてこなかつたのかといふと、適当な箱がないといふのが大きい。
そして、箱に入れることにすると、わざわざ箱のある場所まで移動しなければならず、それだけで疲れきつてしまひさうな気がしたから、といふのもある。
さらに、先ほど日によつて捨てられるゴミが細かく分かれてゐると書いたが、不要なものをまとめてもゴミの日まで捨てられない。
それまでものだつたものがゴミとして家の中にある。
その状態がどうにも気に入らないといふこともあるな。
いづれにしても云ひ訳だ。
箱に入れることにすれば、箱の中は片づかなくてもとりあへずそのまま入れておけばいい。
箱なら重ねられもしやう。
といふわけで、まづは適当な箱を入手するところからはじめるやうだな。
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