色の名前と番号と
編み気が高まると結び気も高まるもので、手持ちの都羽根など出してきて「どーしよーかなー」などと考へたりしてゐる。
手持ちの都羽根の絹穴糸は、すべて京都の高島屋で求めたものだ。
顔見世などで京都に行つたをり、寄れるときは寄るやうにしてゐた。
糸が増えすぎてしまつてここ二、三年行つてゐない。
都羽根の糸にはひとつひとつ色の名前がついてゐる。
もう手元にないからしかとは覚えてゐないのだが、「紅碧」といふ名前の色の糸があつて、これが名前からは想像のつかないやうな鮮やかな紫色なのだつた。
いまWeb検索をかけて見たらまたちよつと違ふやうな色が出てきたけれど、紫系であることにかはりはないやうだ。
栗色なんてのはこつくりといい茶色だし、都鼠は紫といはうか灰色といはうか微妙な色合ひで同系色のビーズを探してきて一緒にしたらさぞかし渋くてよいだらうといふやうな色である。
さう、つまり、都羽根の絹穴糸は糸を見てゐるだけでものすごく楽しいのである。
それでなんだか満足してしまつて、その先に進まないのであつた。
セーラー万年筆が100色の万年筆用インクを発売したといふ。
これまでセーラー万年筆のインクには、名前のついたものもあつた。
スカイハイだとか、海松藍、月夜の水面、極黒や青墨なんかも仲間に入れていいかと思ふ。
百色のインクには名前はないのださうだ。
番号がふられてゐるだけだといふ。
それをもつて「趣がない」といふ向きもあるだらう。
しかし、番号だけの方がイメージが広がるのぢやあるまいか。
名前がついてゐれば名前に縛られてしまふ。
「月夜の水面」と名前のついたインクを使ふたび、しづかな湖水に浮かぶ月の絵を思ひ描いてしまふかもしれない。
それはそれでいいけれど、もしおなじインクが37番といふ名前だつたらどうだらう。
インクは万年筆の中で熟成されていく。
書き始めと書き終はりとで、また趣の違ふ色になることもある。
それを見て、さまざまなことに思ひを馳せることも可能だ。
37番といふだけであるならば。
まあ実際には背番号37番の誰某だとか、37階からの展望だとか、番号だけでもいろいろなことを想起してしまふのかもしれないが。
色を見てあれこれ思へるのは、番号だけのそつけない名前の方かもしれないな、と思ふのだつた。
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