「犬神家の一族」と「八つ墓村」
Twitter で「犬神家の一族(以下、「犬神家」)」と「八つ墓村」とを混同する人が多い、といふつぶやきを見かけたせゐか、ここのところなぜこのふたつの判別がつきにくいのかについて考へてゐる。
いまのところ、「雰囲気が似てゐるから」だらう、と考へてゐる。
実を云ふと、「犬神家」と「八つ墓村」とが似てゐるとは思つてゐない。
かたや石坂浩二、かたや渥美清ではないか。
全然違ふぢやあないか。
どちらの映画にも出演してゐる俳優といふのも、主要なところでいふと二人くらゐしかゐないのではあるまいか。
と、いきなり映画の話になつたのには訳がある。
「犬神家」と「八つ墓村」とを混同する場合、よく出てくるのが沼からつきでた二本の足と頭に巻いた鉢巻にはさんだ蝋燭とか懐中電灯とかだからだ。
そのふたつの映像または画像を見たことがある人が、どちらがどちらだかわからない、またはどちらも実はおなじものだと認識してゐる、といふことなのだと思つてゐる。
あとは双子の不気味なお婆さんとかね。
マスクをつけた不気味な人物(佐清)とかね。
ヴィジュアルありきなのだ。
多分、どちらも1970年代に公開された映画にまつはる映像/画像を見て「どつちかわからない」というてゐるのだらうと推測する。
似てゐるといふと思ひ出すことに、浅見光彦シリーズがある。
やつがれはあまり浅見光彦シリーズといふものを評価してゐない。
理由は、「これ、おもしろいから読んでみて」と勧められて読んでみた本が二冊とも納得いかなかつたからだ。
片方は「良寛さんと一休さんつて似てるよね」といふ話で、もう片方は「「赤い靴」と「青い目の人形」つて似てるよね」といふ話だつた。
どこが?
全然似てないぢやん。
や、「全然」は云ひ過ぎか。
でも似てゐない。
「赤い靴」と「青い目の人形」とは、まあ、百歩譲つて似てゐるところもある、と云へないこともない。かたや女の子かたや人形が海を渡つて異国の地に行くといふ歌……と書いて、やはり「どこが似てゐるんだらう」と首を傾げざるを得ない。
ところがこれを勧めてくれた人は、「云はれてみれば似てるよねえ」といふのである。
さう云つた人はもうひとりゐて、ふたりとも浅見光彦シリーズの大ファンだつた。
さう考へると、「犬神家」と「八つ墓村」とは人が云ふほど似てゐないと思ふ、やつがれの方に問題があるのではないかと思へてくる。
世の中の人は些細な違ひをあげつらつて「似てない」などと云はないのだ。
石坂浩二と渥美清とが「些細な」違ひかどうかはともかく、推理ものにおける探偵役といふのは狂言廻し的な役回りに落ち着いて、案外目立たないものだつたりもする。
だつて「犬神家」や「八つ墓村」といつたときに思ひ出すのつて、沼から突き出た二本の足とか不気味な双子のお婆さんとか狂気の表情で洞窟内を走るをぢさんとかなんでせう。
金田一耕助ぢやあないのだ。
だから、「犬神家」と「八つ墓村」とは取り違へるほどによく似てゐるのである。
やつがれにはなぜだかわからないけれど。
ところで、どちらかといふと、「犬神家」と似てゐるのは「獄門島」なんぢやないかなあ、とも思ふ。
どちらにも三つの見立て殺人があるからだ。
似てゐると思ふ点はそれしかないが。
あと一応映画では石坂浩二の、TVでは古谷一行の金田一耕助で見たから、といふこともあるかもしれない。
個人的には「獄門島」はささやななえ(当時)のまんがなんだけれどもね。
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