死んだはずだよお富さん
シアターコクーンで上演されるコクーン歌舞伎は、今回は「切られの与三」といふ芝居をかけるのだといふ。
瀬川如皐の「与話情浮名横櫛」を元にした芝居だと思ふが、詳しいことは調べてゐない。
瀬川如皐は長い本を書くことで知られてゐて、如皐の筆を抑へるために「脚本(とは当時は云はなかつたが)は何ページ以内にすること」といふ決まりができたのだといふ。
如皐は紙を切り貼りしてその決まりに対抗したのだとか。
さういふ人の書く芝居だからとにかく長い。
現在では「源氏店妾宅の場」とたまにその前の「木更津浜辺の場」がかかるくらゐだ。
もつとたまにそのあひだの「赤間別荘の場」がかかることがあつて、ここまでは複数回見たことがある。
一度だけ、團十郎と先代の雀右衛門とでその先をかけたのを見た。
そんな芝居だ。
歌舞伎を見る前、この「与話情浮名横櫛」通称「切られ与三」をどうしても見てみたいと思つてゐた。
理由は、「お富さん」といふ歌にある。
春日八郎が歌つて大ヒットしたこの歌は、「切られ与三」の主に「源氏店妾宅の場」を歌つたものだ。
大層ヒットしたのださうで、当時小学校では「学校で「お富さん」を歌つてはいけません」などといふお達しを出したりもしたさうだ。
自分が学校に通つてゐるころ、どんなに売れた歌謡曲でも「学校で歌つてはいけません」などと指導される歌はなかつた。
従兄弟は幼稚園で「八時だよ全員集合」で歌つてゐた「ななつのこ」の替へ歌を歌つてはいけないといはれたのださうだが、それとこれとではわけが違ふ。
「ななつのこ」の替へ歌は、正しい歌が覚えられないからやめなさい、といふことだつた。
「お富さん」はさうではない。
「お富さん」を歌つたからといつて、「切られ与三」の内容を間違つて覚えるといふことはない。
学校で禁じられるほどのヒット曲。
そしてその歌の元ネタ。
自分の中で、「切られ与三」への期待がどんどんふくらんでいつた。
「必殺仕事人III」の影響もある。
「必殺シリーズ」は番組冒頭にナレーションが入る。
「晴らせぬ恨みを晴らし許せぬ人でなしを消す」が「必殺仕掛人」。
「のさばる悪をなんとする」が「必殺仕置人」。
「どこかで誰かが泣いてゐる 誰が助けてくれやうか」が「助け人走る」。
といふ具合だ。
「必殺仕事人III」のナレーションは中村梅之助の語りで、〆の一言が「お釈迦さまでも気がつくめぇ」だつた。
「切られ与三」の有名なせりふである。
それも「お富さん」で覚えたといつても過言ではない。
歌舞伎を見たいのに見られない。
そんな中で情報だけは増えてゆく。
もちろん、最初に見やうと思つたのは「切られ与三」だつた。
見た感想は「………………」だつた。
「えっ……と……」といふ感じ、とでもいはうか。
このときは「木更津浜辺の場」と「源氏店妾宅の場」がかかつたのだが、見てゐてさつぱりなにがなにやらだつた。
團十郎の与三郎だから、最後に与三郎が出てくることはない。
お富をやしなつてくれてゐた和泉屋の大番頭多左衛門が実はお富の兄だつた、とわかつて、それで芝居は終はつてしまふ。
「だからなんなの?」とそのときは思つた。
いまはその先に話のつづきがあるから、とわかつてゐるからそれでいいと思ふ。
むしろ与三郎が出てきて「よかつたよかつた」で終はる演出の方がどうかと思ふくらゐだ。
あのふたりはさ、一緒になつても幸せにはなれないよ。
さう思ふからだ。
でも一等最初のときにはおいてきぼりにされたやうな気分になつた。
結局その後何度も何度も見ることになつて、それでこの芝居はかういふもの、といふことが身に染みたのだらう。
これといつてもりあがりのある話でなし、見所といへば与三郎の名せりふだつたりはするので、そんなに派手なところのある芝居ではない。
今後は上演回数も減るのかな。
なにしろ「源氏店妾宅の場」の与三郎の衣装は藍微塵と決まつてゐるのだが、この藍微塵がもう作られてゐないといふ話も聞く。
七之助はどうするのだらう。
藍微塵を手に入れるのか。
それとも別の柄でいくか。
そもそも藍微塵がもう作られてゐないといふのがでまかせか。
そんな、どうでもよいところばかり気になる「切られの与三」である。
「切られの与三」に限らずなんでもさうだけどさ、どうでもよいところばかりが気になるのは。
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