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Wednesday, 21 March 2018

印刷したやうな文字

科挙 中国の試験地獄」を読んだ。
科挙にはすごいことがいろいろあるのだけれども、中に「印刷したやうな字を書くこと」がある。
この本にも答案の写真が出てゐて、「これ、ほんたうに人が書いたんだらうか」としみじみ思ふ。
なにがすごいつて、答案の最初から最後まで印刷したやうな字で書かれてゐるといふことだ。
途中で乱れることがない。
あるのかもしれないけれど、おそらくはごくわづかな乱れなのだらう。
さうでなければ試験に通らないからだ。
人間つて、ここまでできるんだ。

小学生の同級生にさういふ子がゐたことを思ひ出す。
国語のテスト用紙の裏に漢字の練習が出てゐることがあつた。
お手本の字があつて、その下に練習用のマスが三つほどある。このセットが10個ほど並んだものだ。
テストの時間があまつたらやりなさいといふやうなものだつた。
テストを提出するときは教卓にテスト用紙を裏返して出すことが多かつた。
さうすると漢字の練習したさまを見ることがある。
その中に書いた文字がお手本と寸分たがはぬ児童がゐた。
成績優秀品行方正な子だつた。
世の中にはかういふ人もゐるのだとそのとき知つた。

科挙に通るのはひどく狭き門であつた、といふことだが。
受けやうといふ人はたくさんゐたわけで、中には字の汚い人もゐたらうけど(「字が汚いから科挙に落とされて一生懸命字を練習した」といふ人の書の展示を見たことがある)、結構な確率で印刷したやうな字が書けるやうになるもののやうに思はれる。
あるいは役人になつて栄耀栄華をこの手に、といふ目標があるからさうなれるのだらうか。

字をきれいに書けるかどうかには、ふたつの要素が必要だと聞いたことがある。
ひとつは審美眼だといふ。
「かういふ字が美しい」といふ認識があつて、はじめて美しい字が書ける。
もうひとつは器用な手先だ。
手先が器用であつてはじめて「かういふ字が美しい」といふ字を再現できる。

科挙を受けやうといふ人々には「かういふ字が正しい」といふ認識はあつて、さらに手先の器用な人が及第する要素のひとつを手にしてゐた、といふことなんだらう。
記憶力がよくて文章を書くことにすぐれてゐても手先の不器用な人といふのはいくらもゐさうな気もするが。
なんでもできる人といふのはなんでもできるものなので(上にあげた同級生も然り)、科挙を受けやうといふ時点で字のうまいへたなんぞといふ問題はクリアしてゐた人ばかりだつたのかもしれないなあ。

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