紳士は走らない
「A gentleman will walk but never run.」とはスティングの「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」の一節だと記憶してゐる。
紳士たるもの走るものではない、といふのは、なるほど、と思ふ点もないではない。
紳士といふと思ひ浮かぶのは、トップハットに白いネクタイ、燕尾服、だらうか。
古いか。
いづれにしてもそんな出で立ちの人間が、発車間際の電車に駆け込んでくるやうなやうすはチト考へ難い。
たぶん、さういふ人は発車のベルの鳴る中、おもむろに歩みつつ電車のドアの前に立ち、落ち着いた面もちで閉まるドアを見るともなく見つめるのだらう。
動作と心境とは呼応するものなのだといふ。
とくにおもしろいことがないときでも微笑むと心持ちがよくなるといふ。
微笑むことはない、唇の両端を持ち上げるだけで気分が明るくなるともいふ。
キリキリしてゐるときはゆつたりとした動作をとるといい。
さうするとふしぎと心も落ち着いてくる、といふ。
わかつてはゐるが、どうしても急いでしまふんだよなあ。
だいたい早足で歩いた方が健康にいい、といふ話もあるではないか。
#え、ない?
鷹揚にのんびりとした足取りで歩みたい。
とくに歌舞伎座から有楽町駅に向かふときにさう思ふ。
晴海通りの信号は車にあはせて切り替はるのらしく、どんなにがんばつて歩いても次の信号に着くころには歩行者用の信号は赤に変はつてゐる。
イライラするんだよねえ。
周囲の人のやうすから見て、やつがれの歩みが格別遅いとも考へられない。
複数人で喋りながら歩いてゐる人が多いので、むしろ速い方かと思ふ。
それなのに、目の前で信号が赤に変はる。
納得がいかない。
が、これも、ゆつたりのんびり歩くやうにしたら解決するのではあるまいか。
せかせか歩くから赤信号にイライラするのだ。
紳士にでもなつたつもりで悠々と歩いていけば、そんなことは気にならなくなるのではあるまいか。
やつてみやうと思ひつつ、これがなかなかむつかしい。
だいたい夜の部のあとは早く帰りたいしね。
うーん、今度やつてみるかなあ。
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