認知心理学と与太郎
ダニエル・カーネマンの「ファースト&スロー」を読んでゐる。
「ファースト&スロー」には、System 1とSystem 2 といふことばが出てくる。
System 1は、本能的・反射的な反応で、直感といひかへてもいいかもしれない。速い思考ともいふ。
System 2は、直感ではさばききれない、頭を使はないと考へられないやうなことを考へる能力だ。遅い思考でもある。
本には、九九の計算はSystem 1(もちろん、考へないとできないこともあるかもしれないが)、24×17はSystem 2を使つて答へを得る、といふやうなことが書かれてゐる。
一月早々に読んだ「How to Think: A Guide for the Perplexed」には、人間の脳は考へることに向いてゐない、と書かれてゐる。
「ファスト&スロー」の例を引いてきて、System 2といふのは労力を必要とするもので、普段はみなSystem 1でものごとを処理してしまふ、と云ふ。
ここで出てくる例はシャーロック・ホームズだ。
「ボヘミアの醜聞」(確か)に、ホームズがワトソンに下宿の階段のステップ数を尋ねるが、ワトソンにはわからないといふ場面が出てくる。
そこでホームズはワトソンに云ふ。「You see, but you do not observe.」、と。
観察をするにはSystem 2が必要だ、といふのだ。
ここでワトソンはホームズが「階段は17段だ」と云つた、といふ話でおしまひにしてしまふが、それもまたSystem 1しか使つてゐないことになるのぢやあるまいか。確認しに行つてはじめてSystem 2を使つてゐることになるのぢやないかと思はないでもないが、それはまた別の話。
総合すると、人はたいていSystem 1を使つてゐて、System 2は滅多に使はない。
たとへば、混雑してゐるスターバックスコーヒーの店内で四人ほどでコーヒーを飲んでゐるとする。食べるものも頼んだのでひとりひとりの前にそれぞれトレーがある。
さて帰るぞ、といふので立ち上がつてゴミ箱に向かふ際、先頭に立つた人はともかく、それ以降の人がどうふるまふか。
なにも考へずに先頭の人について行くのがSystem 1、ほかにすいてゐる道はないかと探すのがSystem 2なのぢやあるまいか。
この場合、System 2を使ふと反応が少し遅くなる。
もしかしたらこの人は普段から「のろま」と云はれてゐる部類の人かもしれない。
でも実は、System 1だけでなんとかなる場面でもSystem 1に頼りつきりではなく、System 2を起動する人なのぢやあるまいか。
落語に与太郎といふ人物がよく出てくる。
ちよつと考へることの苦手な、いはゆる mentally-challenged な感じの人物だ。
噺家によつてその描写は多少ことなる。
立川談笑の与太郎は、mentally-challenged といふよりは、ことばの裏を読まない人間といつた感じがする。
表を掃除してゐて「箒で掃く前に水をまけ」と云はれると部屋の中でも水をまいてしまふ。
そして、あとでひとりごちる。
「家の中で水をまいちやいけないんだつたら最初から「表を」とひとこと付け加へればいいのにな」、と。
「云はなくてもそれくらゐわかるでせう」といふのが通じない人物なのだ。
暗黙の了解が通用しない。
ある意味、「グローバル人材」だな、と思ふ。
日本での暗黙の了解をまつたく知らない人だと思つてつきあふと多少はうまくいく気がするからだ。
談笑のやうな与太郎がありなら、System 1よりもSystem 2を優先して使ふ与太郎もありなのではないか。
一見のろまでちよつと足りないやうに見えるけれど、実はほかの人間よりよつぽどものを考へてゐる。
そんな与太郎といふのもありなのではあるまいか。
どの噺の与太郎に適用できるのかはやつがれ風情の噺の知識ではわからない。
あるいはもうさういふ与太郎を演じてゐる噺家もゐるのかもしれない。
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