人と人との交はりは
今月歌舞伎座の夜の部では「於染久松色読販」といふ芝居がかかつてゐた。
俗に「お染の七役」で知られてゐる。
ひとりの役者が七人を早変はりで演じるのが見どころだ。
ところが、今回は早変はりはなかつた。
七人のうちのひとり・土手のお六を中心とした場だけが上演されたのだつた。
いままで歌舞伎を見てきて、こんなことははじめてだ。
土手のお六といふのは「悪婆」と呼ばれる役どころで、世間では最下層にゐるやうな人物である。
ゆゑに衣装も地味だし、とりたててうつくしいといふこともない。
しどころだけはたくさんあるけれど、果たしてこれでおもしろいのか、と、見に行く前は思つてゐた。
なんでこの場だけ出すんだらう。
疑問だつた。
見に行つてみると、これが案に相違のおもしろさで、この場だけ出すことになんの抵抗もなかつた。
話の流れも登場人物たちの交はすせりふでおほよそ知れる。
「お染の七役」といふ芝居をを知つてゐるからといふこともあるけれど、人間関係がわかると、だいたいのことはわかるやうになつてゐるのが歌舞伎である。
冒頭、お六はもとの主人である竹川からの遣ひと話をしてゐる。
遣ひが竹川から来たこと、お六が竹川に恩義を感じてゐること、竹川には久松といふ弟がゐて、油屋といふ店に丁稚奉公に出てゐること、竹川は百両といふ金子を必要としてゐることがその会話から見えてくる。
そのしばらくあと、花道揚幕からお六の亭主・喜兵衛が男をひとり伴つて出てくる。
このふたりの会話から、喜兵衛の出自、なにかしら大事な刀の行方、そしてやはり百両が必要なことがわかる。
さらに、どうやら喜兵衛が主と頼む人と竹川とは敵対する関係にあるらしいことも知れる。
歌舞伎のせりふはわかりづらいと云はれるが、この部分のせりふはそれほどむつかしいものではない。
ただいきなりぽんと提示されるので、それが重要な内容を含んでゐるものだとは認識されづらい。
客の心も開演直後で浮き立つてゐる。
そんな調子で芝居が進んでいくから、「なんでこんな展開になるのかいまひとつわからないねえ」といふことになりがちなのだらう。
また、歌舞伎は、物語の中でふしぎに思へることは人間関係がわかると謎が判明するやうになつてゐることがある。
昨日書いた「切られ与三」で、なぜ和泉屋多左衛門はお富を助けながらまつたくお富に手をつけなかつたのか、といふ謎は、多左衛門とお富との関係がわかると氷解する。
「お染の七役」のお六と喜兵衛との場合は、人間関係がわかると百両を求める動機がわかるやうになつてゐる。
さういふ観点で芝居を見るのもおもしろさうだな、と、今月の「於染久松色読販」を見て思つた。
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