想像の外
日曜日、突如として昼からお酒を飲むことになつた。
呼び出されたからだ。
相手は学校に通つてゐた時分の友人で、年に三、四回は一緒に飲むことがある。
学校に通つてゐるころ、相手はこんなことを云つてゐた。
「約束してなくても、会ひに行つたらそのままお酒を酌み交はしたりできるのつていいよね」と。
電話の普及この方、さういふことはほとんどなくなつてしまつたと云つていいと思ふ。
当時でさへ、あらかじめ約束してゐない友人とはその日のうちには会へないといふことが多かつた。
むしろその方が普通だつた。
電話の普及する前は、編集者などは事前の約束などないまま担当する作家のもとに赴き、不在の場合は近くに住んでゐる別の作家のところに寄る、そこも不在だつたらまた別の作家のところへ行く、などといふことをしてゐたといふ。
それがあたりまへだつたし、ほかにしやうもなかつたらう。
さういふ時代は、友人に会ふにもおなじやうな感じだつたのに違ひない。
会ひに行つても相手はをらず、仕方がないのであたりをぶらぶらしたり、別の友人宅に向かつたりする。
それがいいかといふと、やつがれにはちよつとムリな気がしてゐる。
誰かと会ふときは事前に連絡して、約束をとりつけてから会ふ。
それが当然で、行つたらゐなかつたではがつくりしてしまふと思ふのだ。
そんな感じで、昔の人の気持ちになれないこともある。
最近は古い映画や古いドラマしか見ないので、家には普通に黒電話があり、巷には公衆電話ボックスがあり、たばこの自販機もたくさんあつて、町中のあちらこちらに喫煙してゐる人がをり、駅の改札口には伝言板がある、といふのを目の当たりにして、「昔はさうだつたよなー」などと思ふ。
でもそれは、経験したことがあるからさうなので、生まれてこのかたあつてあたりまへのものがない状態のことを考へるのはとてもむつかしい。
かういふことは、歌舞伎を見たり落語を聞いたりしても多々あるはずなのだが、「昔は昔」と思つてゐると見過ごしてしまふんだらうな、といふのはまた別の話。
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