読書の効用など
十一月に飯田に行つたときに、「読書をする学生の論文は論文の体裁を為してゐるが、読書をしない学生の論文はコピー&ペーストだらけで最後に申し訳ていどに自分の感想かが書いてあるだけといふことが多い」といふやうなことを云つてゐるテレビ番組を見た。
「林先生が驚く初耳学」とかいふ番組だつたかと思ふ。
筑波大学の情報系の研究室での調査結果だといふ話だつた。
この番組ではいくつもの内容を扱つてゐて、この調査結果も詳しく放映されたわけではない。
「論文には構成があつて、本を読む習慣のある人はそれを自然と身につけてゐる。なので「この人の考へを土台にしてあの人の考へを屋根にしてちよつとつけ足す」といつた具合に論文を組み立てることができる」といふ話があつた。本を読む習慣のない人には論文の構成が身についてゐないのでうまく書けない、といふことなのだらう。
しかし、ほんとかな。
論文には構成がある、といふのはそのとほりだと思ふ。
かういふ順番で書く、といふきまりがあつて、それを学べば読書の習慣如何に関はらず書けるんぢやないかな、と思ふのだが、甘いだらうか。
もちろん、達意の文章の書けない人といふのはゐて、それはまた別の話だ。
本を読んでゐればさうした文章が書けるかといふ話とはまた別の気がする。杜甫は詩はすばらしいけれど文章はなに云つてるのかわからない、と杜甫選集だかで読んだ記憶がある。杜甫が本を読まなかつたとは思へないので、さういふこともあるのだらう。
また、コピー&ペーストばかりの論文(それを「論文」と呼ぶとして)を書くのは読書をしない学生ばかり、とはこの調査結果からは云へない。
実際の調査にはもつと細かい決めごとがあつて、結果ももつと細かく書いてあるのだらう。
テレビ番組でとりあげるから、わかりやすい部分だけ放映されたのに違ひない。
とはいへ、なるほど、読書にもさうした効用があるのだな、とは思ふ。
昨日、「読書の効用、とくに小説や物語を読む場合の効用として、自分以外の人間の気持ちや立場を理解できるやうになる」といふことをあげた。
もしほんたうにさうなら、世の中の人は小説や物語を読まない人ばかりなのだな、と思ふ。
通勤電車に乗つてゐるととくにさう思ふ。
無論、「自分以外の人間の気持ちや立場のわからない」やうな人ばかりが目立つので、それでさう思ふのかもしれないが。
読書の効用はそれだけではなく、文章の組み立て方が自然と身につくといふこともある、と思ふと、ちよつといいやうな気がする。
まあでも、実際は「効用」なんぞを考へずにただただ読むのが楽しくていいやうな気がするがな。
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