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Tuesday, 27 February 2018

人は考へるのが苦手である

タティングレースをはじめたころ、どうしたらタティングシャトルに巻いた糸が芯糸になるのかわからず、芯糸は動くはずなのに動かず、数日迷ひつづけた、とは以前から書いてゐる。
このころ、やつがれは必死で考へてゐたのだらう。
なぜ本にあるとほりにならないのか。
なにがいけないのか。
どうしてうまくいかない?

考へつづけることができずに翌日を迎へ、またおなじことを悩む。
そのくりかへしで、あるとき Eureka Moment がおとづれた。

その後もしばらくは考へてゐたのだらうけれど、たぶん、いまはタティングをしてももう考へることはほとんどないのぢやあるまいか。
手が指が覚えてゐることだけでこなしてゐる。
ときに脳が手にあるのではないかといふ気がしてくる。

人の脳は考へるのが苦手である、と、最近本で読んだ。

なにか新しいことを学ぶとき、人はいろいろ考へる。
どうすればうまくできるやうになるのか。
なぜかうするとうまくいくのか。
なにがまづくてかうなつたのか。

ひとたび慣れてしまふと、もう考へなくなる。
いちいち考へなくても躰が覚えてゐてできるやうになるからだ。

囲碁や将棋などでも、むつかしい場面に来るまでは脳は考へてゐないといふ。
「脳は考へてゐない」といふのが正しい表現であるのかどうかはさておき、さうした場面が出現するまでは記憶してゐる定跡で打ち指してゐるといふのだ。

それはやはり人間の脳が考へるやうにはできてゐないからなのだらう。

あみものにしてもタティングレースにしても、一度覚えてしまつたらいちいち考へてゐたらなにもできない。
道具の持ち方はこれでいいのか。
手に糸をかけるそのかけ方は正しいか。
手をどう動かせばいい?
そんなことはもう考へない。
編み針やシャトルを手にして、ひたすら動かす。
このいはゆる「Mindless Knitting」だとか「Mindless Tatting」といはれるトランス状態にも近いやうな状態になると、ひどく気分がよくなることがある。
考へないでも手が動く。
考へないでもなにかができる。
無我の境地とでもいふのだらうか。

しかし、それでも考へるときはやつてくる。
なぜか目の大きさが不揃ひだ、とか。
ピコの大きさを一定にたもつことができない、とか。
この編み方/結び方はやつたことない、とか。

かうしたことどもがひどく苦手であつたけれど、なるほど、人の脳は考へるやうにはできてゐないからなんだな。

と、納得はしてみたものの、世の中にはどんどん新たな技術に挑戦していく人もゐるんだよなあ。
ああいふ人は考へることが苦ではないのだらうか。
あるいはすでに脳内にあみものやタティングのマップがあつて、そこから自由自在にいろいろとりだして新たなことをこなしていくことができるのだらうか。

いづれにしてもうらやましいことである。

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